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盛田 諒の「ほぼほぼ育児」 ― 第1回

「見えない育児」の大切さ

2019年04月05日 09時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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 盛田 諒です。育休コラム「男子育休に入る」連載から2年が経ち、2歳児くんの保護者をやっています。立派に育児といえるほどの育児ができているとは思えず「ほぼほぼ育児」のようなことをバタバタ続けている日々です。

 子どもくんの体重は3kgから11kgへと4倍近くなり、寝返りを打つのもやっとだったのが山道をワシワシ登っていくまでになりました。2年半ほど前に見た豆粒大の胚が人間になって「お父さんこっちよ~」と呼んでいると考えるともはや意味不明です。わたしの頭どうかしてない? 大丈夫?

 妻もわたしも出版関係、2歳児くんとともに「ザ・共働き家族」という感じのあわただしい日常を送る中、あらためて育休とってよかったと実感しました。育児タスクがこなせるようになったからです。編集者の妻は出版記念イベントで地方出張に行くことも多く、わたしと子どもくん2人きりということもよくあります。そう言うとママさん方から「エーッすごい!」「お料理も!」「寝かしつけも!」と驚かれますが、経験に乏しいと厳しいです。

 ただ2年間やってきて、タスクは育児の一部でしかないと感じます。子どもの相手をしている人の負担を軽くすること全部が育児のようなもので、場面によってはむしろそっちが本質的な育児なのではないかとも感じます。

●ビール買って帰るのも育児

 たとえば床にちらばったおもちゃを片づけること。子どもくんが「ライオン来たよ」と言ったら「ライオン来ちゃったの!?」と会話すること。ベビーカーをバスから一緒に降ろすこと。妻(夫)の代わりに洗濯物をたたんでおくこと。寝かしつけが終わった妻(夫)が「疲れた~~~~」と言いながら飲むビールを買って帰るのも育児みたいなものではないかと思います。

 「ビールを買おう」と書いている育児雑誌は見たことありませんが、実際それで救われる部分はあります。妻から「寝かしつけが終わったら『お疲れ様』と言ってほしい」と言われることがあり、そういうコミュニケーションが超絶苦手なので困ってビールを買ってきたところもあるのですが、いわゆるタスクにならない見えない育児はめちゃくちゃ大きいと感じています。

 その意味でいえば、家族以外も育児をしていることになります。

 バスでベビーカーを一緒に降ろしてくれる人、電車で泣いている子どもくんに「おうおう悲しいねえ」と話しかけてくれる人、公園で子どもくんと遊んでくれるよその子も一緒に育児をしてくれているようなものといえます。実際とても助けられています。

 逆にタスクとしての育児をがんばっても、結果相手や子どもの負担が大きくなってしまうことはあります。タスク疲れから妻に対する態度が悪くなり、不毛なけんかを子どもくんに見せて泣かせたことが何度かあります。タスクは100%こなせても、我ながらいい育児ではありませんでした。

●家族の数だけ育児がある

 その上で「うちも夫に育児をやってもらいたいんだけど」という話には、「できることはあると思いますよ」というぼかした回答をもっています。

 夫が育児をやる・やらないの話がありますが、家にいる時間が短いと作業分担は難しいです。分担しても「夫に頼むより自分でやったほうが早いから」というのもよく聞きます。それならいわゆるタスクとは違うところで、自分ではなく家族のために力を使ってもらうほうがいいのではと感じます。

 育児の正解は家族の数だけあると思います。子どもの性格も家庭環境もいろいろです。育児とは誰がこういうことをするものだという先入見はかえって邪魔になると思います。絶対の正解がない以上、「ほぼほぼ育児」の答えを探すしかないのでは? というのがこの2年間で感じたことでした。

 今後アスキーキッズではこんな「ほぼほぼ育児日記」を連載としていくつもりです。こういう人もいるのね~と珍獣を見るような気持ちでご覧いただければ幸いです。盛田 諒でした。





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