このページの本文へ

盛田 諒の「ほぼほぼ育児」第17回

抱っこは子どものためならず

2019年08月09日 09時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

 2歳児くんの保護者をしております盛田 諒ですこんにちは。暑い日が続きますね。先月までウグイスがさえずっていた木ではセミが鳴き、保育室までベビーカーを押していくだけでシャツがぬれ、体は液状化を始めています。夏の終わりには風になってすすきをゆらしているのではないでしょうか。


●自分のことは自分でする

 子どもも2歳になるとできることが増え、大人が手伝っていたことを自分でできるようになりました。着替えをしたり、ごはんを食べたり、トイレに行ったり。パンツの絵柄が見えるようにわざとうしろ前に履いたりしています。忙しいときにはつい手を貸してしまいますが、時間があるときはちょっとしたことを自分でやってもらえるようにしています。自分のことを自分でできるようになることで、人はちょっとずつさまざまな制約から自由になっていくわけですから。

 ……と思っていたのですが、子どもを見ていると、自分はそういう考えにとらわれすぎているんじゃないかという気持ちも出てきました。


●頼み事がヘタすぎる自分

 先日、掃除をしたあと妻にハンディ掃除機を片づけてほしいと頼んだことがありました。

 わたしは「妻は普段ハンディ掃除機を使っていないから片づけるのは難しいかな、まあ無理だったら自分で片づければいいだろう」と考えながらハンディ掃除機を渡しましたが、妻は難なく片づけたので「すごい!」と感激。「子どもがタオルを自分でかけてくれたときと同じくらい感動した」と伝えたことで、当然ながら「なんで、、」と怪訝な反応が返ってきました。

 「蔑視しているのではなく、人に何かをやってもらえると思う期待値の低さからきている」と釈明しましたが、理解を得られたかは微妙です。人としてどうかと思われた気はします。


●もともと頼む習慣がない

 わたしは自分でできることを誰かに頼むことは基本的にありえないと思っていて、頼み事をすることがめったにありません。人に仕事を頼むのはどうしても自分にできないときだけです。自分の手から離れたものには結果も期待していません。悪い結果が出たとしても仕方ないとあきらめていて、いい結果が出たときはむしろ「そんなことがあるのか!」と驚きます。

 逆に自分にできることを自分でしない人が好ましく思えません。「自信家なのか、それとも自信がなさすぎるのか」といわれることもありますがおそらく自信とは関係ありません。ただ頼む習慣がないだけです。


●頼むことの大切さ教わった

 ただ、頼み事は相手との信頼関係にもつながるんですよね。子どもは大人に「抱っこしてー」と甘えることで信頼を育みます。自分は自分で抱っこできないわけだから抱っこは頼み事の基本かもしれません。もちろん頼りっぱなしはだめですが、子どもを抱っこするように誰かのためになることは人にとっての喜びにもつながります。そう考えるとちょっとしたことを頼めることも、自分のことを自分でするのと同じくらい大事なのかもしれません。

 子どもを抱っこしながらそんなことに気づかされました。自分のことしか考えていなかった子どものようなわたしが、人と助けあうことの大切さを子どもに教えられたわけです。

 これはものを頼む習慣を身につけるいい機会かもしれないと思い、今朝は子どもに「iPhoneとってきてくれますか?」と頼んでみました。いつものように「無理かな」と思っていると、子どもがiPhone片手に「どうぞー」と戻ってきました。「ありがとうー!」と言うと「抱っこ抱っこ!」というのでオリャーと抱きあげてグルグル回り、2人でゲラゲラ笑いました。抱っこは子どものためならず、大人に返るものがある。子どものおかげで大人になれそうです。盛田 諒でした。





カテゴリートップへ

この特集の記事
ピックアップ