インディーズミュージシャンからレコード店社員へ
―― ところで中野さん、若い頃は音楽やられていたんですよね。
中野 もともと僕はプログレが好きだったんですよ。大学に落ちたんですけど、このまま勉強しても意味ないなと思って、イギリスに行ったんです。プログレの本場にね。
―― それいつ頃ですか?
中野 1980年ですね。
―― もうプログレなんて跡形もないころじゃないですか!
中野 人生誤りましたね。行ったらニューウェイブがドえらいことになっていたんですよ。ライブハウスに行くと、スロッビング・グリッスル※、SPK※、 ディスチャージ※なんかが、どわーっとやってる。
※ スロッビング・グリッスル : Throbbing Gristle。1975年にロンドンで結成されたインダストリアル・ミュージックの先駆的グループ。
※ SPK : 1978年にシドニーで結成された精神病院の看護師と患者による「本物」のインダストリアル系グループ。
※ ディスチャージ : Discharge。1977年にストーク・オン・トレントで結成された初期のハードコアパンクグループ。
―― えーっ、それはそれで凄いじゃないですか!
中野 今にして思うと凄過ぎるんですよ。そういう生活を一年近くしていて、帰ってきてニューウェイブのバンドを始めたんですね。
―― ひょっとして、そのバンドの音源、売ってたりするんですか?
中野 実は売ってます! 84年までバンドやっていましたが、食えなくなって。
―― で、仕事を探すと。
中野 普段から納品していて、一番しっかりしていたディスクユニオンに「働きたいんですけど」って電話したら、面接どこどこに来て下さいと言われるので「はい、知ってます。(自分のCDを)納品してるんで」みたいな感じで。
―― 勝手知ったる感じで売る側に回ったんですね。
中野 入った当時はインディーズに詳しかったし、ニューウェイブは一通り見てきたし、その前はプログレを知っていたんで、ずいぶん重宝がられましたよね。
―― 最初に勤めたのは、どの店舗だったんですか?
中野 最初は新宿店だったんですが、営業本部でニューウェイブを仕入れるとか、インディーズを仕入れるとか、そっちの方を手伝っていましたね。それで新宿のプログレ館ってありますよね。
―― すごい有名なお店ですよね。
中野 あそこは僕が作ったようなものですよ。プログレとニューウェイブをばんばん入れて、それぞれの売上が上がって、別館を持つようになったんですけど。
―― じゃあ「ユニオンは俺が育てた」と。
中野 うーん。そこまで言うとイヤラシイですけど。でもユニオンの社史の中で、僕が一番売上げを伸ばした店長だったと思いますよ。

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