脊髄反射で足が動く!奇跡の車いすCOGY
無力感を打破する「あきらめない」社会を目指す仙台発ベンチャー
なぜ、鈴木社長は「COGY」を作ったのか
TESSはビジネスと同じくらいに社会的な意義を重視したベンチャーだが、鈴木氏の起業への道のりもまた独特だ。
そもそも、鈴木氏が志していたのは障害者支援だった。大学卒業後に就職したのは重度の知的障害者向けの施設。職員として鈴木氏は農作業やクッキー作りなどを一緒に行うなどしていた。
「他所で受け入れられない最重度の人もいて、コミュニケーションも取れないので職員がやるのを目の前で見ているだけ。彼らもつまらないと思っているだろうし、私のほうでは無力感を感じていた。せめて、手が開きさえすれば何か参加できて楽しいだろう、と。それにはリハビリが大切なのではないか、と考えた」
リハビリの勉強をするため、理学療法士になる専門学校に入り直したが、途中、金銭的な理由から就職することになり小学校の教員になった。しばらく普通学級の担任をしていたが、あるとき車いすの子供のいるクラスが担当になった。
学校は勉強する場だったが、それだけではない。車いすだと制限があり、体育、運動会、遠足など、一番楽しいところに参加できない。鈴木氏個人としてその子にもっと関わりたいと思いながらも、クラスの担任であるため、その他大勢の生徒も含めて相手をしなければならず、当然できることは限られる。
辛く思っていた、ちょうどその時期だった。
「東北大学が研究している足でこぐ車いすがテレビで放送されて、寝たきりのおばあさんが車いすに取り付けられたベダルでスイスイと進む映像が流れていた。それを見て感激した。もし子供版があってこれを使えれば、車いすの子供も遠足で他のクラスメイトと同じスピードで動けるし、部活もできるかもしれない。リハビリが進んで立って歩けるようになるかもしれない。そしたら、就職もできるし、進路の選択も幅が広がるだろうと」
さっそく、その研究者に会いに行った。
それが今も、「COGY」の研究の中心となっている現・東北大学名誉教授の半田康延博士だった。話をしてみると、まだ研究だけあり、実用化までを見通していなかったので、もし実用化したらどんなにすばらしいかを訴えた。
その後2000年初頭、大学ベンチャーが各地で立ち上がる時期になった。波に乗って東北大学でもベンチャー企業が立ち上がり、足でこぐ車いすも実用化に向けて動くことになった。
ずっとやりたいと思っていた障害を持つ人のリハビリ側からのサポートがやっと実現したと思い、鈴木氏は教師を辞めて営業担当として入社する。だが結果として、その会社は成功せず4年でたたむことになる。
「資本金も億単位を集めて、営業も経理も一流の人材を登用していたが失敗した。いくつか原因はあると思うが、市場ニーズをつかめず1台の車いすを300万円という高価格で販売していた点、技術ノウハウを公開せずに外部に理解者がいなかったことなどが大きいと思っている」
参加したベンチャーが解散することになり、大学側も足こぎ車いすの研究内容を放棄することになった。営業として最前線で顧客を見ていた鈴木氏は、やり方を変えれば普及させることができるのではないかと思い、大学側に掛け合う。知的財産を利用する独占権を得る形で、2008年11月にTESSを設立した。
職人芸でできたとんでもない車いす
やりたいことのために会社を設立したが、人・モノ・金の全てがなかった。会社を設立したとはいえ、事務所もなく、借りるお金もないゼロの状態だ。時期もリーマンショック直後という最悪の状況。あるのは、鈴木氏の足こぎ車いすへの情熱のみ。
だが、歩けない人が足こぎ車いすを使う映像を鈴木氏が見せて回ることで、鈴木氏が会社に必要と思う人材、これから売り出すための最初の試作品、それを作り出すお金などがいい形で集まった。
最初の試作品は、業界では著名なオーエックスエンジニアリングという競技用車いすを制作するメーカーが作った。
「最初は、現在の『COGY』よりスポーティでカッコいいものだった。その試乗実験するために、初めて東北大学のリハビリ室に移動する途中では子供たちが寄ってくるくらい。それを見て、これならみんな喜んで乗るかも、と期待が生まれた」
試乗実験は成功し、本格的な生産開始となったが、オーエックスエンジニアリングではハンドメイドで作るため生産台数が限られる。そのためCOGYは、東アジアや東南アジアを中心に現地の技術をもった生産工場とも特別な契約をしている。
目下、COGYのライバルはいないと鈴木氏は語る。対抗製品がないだけでなく、そもそも類似製品もない。
「真似しようとすればできないことはない」と鈴木氏は言うが、普通の車椅子はバラしてもパーツ数は50点にもかかわらず、COGYは300点を超える。しかも、その中には削り出しで作った特注部品もあり、そう簡単には真似できない自信がある。
「中国の資産家の方が、日本に旅行に来たときに買って帰って、同じように真似して作ったけれど動かない、と直接に見せてもらったこともある(笑)。みなさん、真似して作るのを諦めている」