メルマガはこちらから

PAGE
TOP

攻殻機動隊とメタバース。神山健治監督が見つめる「今と未来」の世界

神山健治(映画監督)

特集
Project PLATEAU by MLIT

1 2 3 4

『攻殻』とともにネットを見てきた30年

©士郎正宗・Production I.G/講談社・攻殻機動隊2045製作委員会

――新しい世界をどう捉えるか、ということは古典的な命題でもある。過去30年の間に、コンピューターとネットワークの捉え方は変わってきた。同時にそれは神山監督にとっても、ネットの変化を見ながら作品を作ってきた歴史、でもある。

 神山:『攻殻』の時代は、メールがやっと何行か送れるようになったレベルでした。サービスを作った会社の役員の方たちですら「電話で会話できるのになぜテキストで話すんだ」と、大真面目に言ってたんですよね。でもいまや、みんなテキストで会話するようになりました。使い始めた世代にとっては、テキストの方が気楽になったわけですよね。通話より敷居が低かった。我々の世代でもそうですけど、「彼女の家に電話する」となるとちょっといろいろ考えちゃうこともありましたよね。テキストだったらもっと気楽ではあります。

 僕は、重要なのが「敷居を下げること」だと思うんです。使う人に存在を認知させる、といってもいいでしょう。

 例えばTwitterみたいに、その場に中毒みたいにとどまる人も出てきていますよね。自分が欲しい情報を共有し、もはや会話でもなく、読んでいるだけの人たちもいます。情報をやり取りしたいからその場にいるわけです。

 じゃあ、メタバースという形で、ネットの中でリアルな街を3Dでできたとして、そこに留まる理由は何なのか? という点になってきます。

 おそらくは街にいる、ということも、その街がリアルであるかどうか以上に、その場でどういった会話がなされるか、ということが重要。会話……というか、Twitterやインスタグラムのような「情報のやりとり」ができることが重要なのでしょう。

 『東のエデン』を作っているころ(2009年放送)には、ARの初期の存在として『セカイカメラ』がありましたよね。ただあれも、だんだん飽きてくる。その場に写真や書き込みをポストすることはできたけれど、飽きちゃって。結局不動産屋の広告くらいしかなくなってしまい、見に行かなくなりました。

 そこで「会話」させてくれれば、TwitterとInstagramの中間みたいな存在になったんじゃないかな、とも思うのです。そのときはゲーム性をどうやって付加するか、ということを考えていらっしゃったのではと思います。ゲームはそれで面白いと思うけど、やっぱりそれに興味がない人はいなくなってしまう。

 考えてみれば、『ポケモン GO』はゲームがシンプルで、しかも特定の場所に「行く」ことが前提。「街に出ていく」というNianticの考えをうまく実現したものだと感じます。

 ただ、メタバースは「中に来てほしい」わけで、またちょっと違う。ゲーム性を付加するような話ではないようにも思います。

 自分自身は家で、椅子に座って、もしくは寝転がりながら、Twitterをやっているような時間が一番長いのですよ。

 にもかかわらず「ずっとそこにとどまりたい」と思うのは何なのだろうか、と考えると、同じ情報を共有している、もしくは自分が知り得なかった情報を気軽に取りに行けることが面白いのだろう、ということではないかと……。

――そのような中で、神山監督の目から見て、2020年代という「今の社会」はどう見えているのだろうか?

神山:インターネットのネガティブな部分が目立つようにはなってきているように思います。

 僕たちは『攻殻』を作ったタイミングで、「メディア」を使って考えや価値観を反映した作品を世に出せる立場にいました。

 ただ当時は、そういうことができない人たちのほうが大多数だったわけです。作れない立場の人々は、批評などを目の前にいる人と話すくらい。世界に発信することは難しい時代でした。しかし今は、誰もが世界に発信できるようになった。それだけで価値を持っています。

 逆にいえば、既存の「メディア」に価値を感じている人は、そこにマイナスを感じているんでしょうね。今はTwitterで地球の裏側から簡単にニュースを伝えられるから「ブロードキャスト」に頼る必要はなくなっています。

 それは非常に良いことなのですが、ネガティブなことはどうしても目立つ。良い気分はもって2日くらいですが、イヤな気分は長持ちします。単純にそういう理由で「イヤな気分」が目立っているだけなのかもしれませんが。

1 2 3 4

合わせて読みたい編集者オススメ記事

バックナンバー