現在でもそうですが、衛星回線では遅延が大きいことが大きな問題で、スループットを阻害する要因になります。「今も衛星回線には難しさがあるが、焦点はいかにパイプ(帯域)を埋めるかになっているね」。つまり、今は衛星回線であっても確実に通信できることは当たり前で、いかに性能や効率を上げるかが課題となっていますが、当時は接続すること自体が課題だったということです。
「今では想像もつかないが、当時はおもに ミニコン ※ をルータやターミナルコントローラとして使っていた。ミニコンといっても大きいものはラックマウント3つぶんくらいある。メモリは コアメモリ ※ で64KBくらいしかないし、性能も今のPCよりはるかに低い。だから性能を確保するためには、いかにプロトコルヘッダを小さく効率的に設計するかが重要だった」とのこと。データの設計は、1バイトどころか、1 ニブル ※ 単位で考えたものだ、といいます。「今みんなが使っているEthernetやTCP/IPのプロトコルヘッダは、そんな時代に設計されたものだ。エンジニアたちが苦労して必要な情報を最小限に詰め込んだのが見て取れるだろ?」
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ミニコン
コンピュータが非常に大型だった時代に、研究室や一般企業でよく使われた小型のコンピュータ。1960年代に登場し、80年代にはピークを迎え、その後ワークステーションなどに取って代わられるようになります。筆者が大学生だった80年代中盤、研究室に日立製のミニコンがあってFORTRANなどを動かしていました。ちょうどラック1本ぐらいのサイズだったと記憶しています。
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コアメモリ
数ミリの大きさのフェライトコア1つに、磁気によって1ビットを記憶させる主記憶装置です。この時代の主記憶は1ビット1ビットの素子を目で見ることができたわけです! インテルからDRAMが最初に出荷されたのは1970年ですから、当時はまだまだコアメモリマシンが残っていたのでしょう。Wikipediaによると、「コアダンプ」という言葉は、このコアメモリから来ているそうです。
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ニブル(Nibble)
4ビット。16通りの値を持ち、ちょうど16進数で表現できます。
ARPAnetプロジェクトは政府や軍に大きな関わりがあり、おもに東海岸で進められていました。技術的に大きな役割を果たしたMIT(マサチューセッツ工科大学)やBBNも東海岸のボストンにありました。一方の西海岸では、1960年代から70年代にインテルやナショナルセミコンダクタ、AMDなどの文字通り「シリコン」系の企業が発展し、それがアップルやタンデムなど、少しずつ裾野を広げ始めた頃だったそうです。当時はIBMのメインフレームが全盛で、スー氏にとってもそのようなコンピュータを開発するアムダールが、カルフォルニアでの最初の仕事でした。
ARPAnetの初期の段階では、機能的にいくらチェックしても問題ない通信プログラムがうまく動作せず、よくよく調べてみると、データの流れに対してコンピュータ側のプロトコル処理が遅すぎてタイミングが合わず、正常にデータを受信できなかった、などということがあったそうです。当初は軍の電話回線を利用して14kbpsなどの遅い回線速度でしたが、それですらコンピュータ側が追い付かなかったりする。コンピュータはそれほど遅く、リソースは少なかったのです。
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