産業革命にも匹敵するインターネットというイノベーション。その出発点は1960年代に東西冷戦とともに軍用目的で始まったARPAnetだ。
ネットワークマガジン2008年10月号掲載
1957年、ソ連(現ロシア)の人工衛星「スプートニク」の成功は、アメリカに衝撃を与えます。科学技術でソ連に後れを取っているという恐怖と焦りはアメリカの技術革新へのモチベーションを急激に高め、当時のアイゼンハワー大統領はその後莫大な予算を科学技術分野につぎ込むことになります。このドラマはそれだけで本にできるほど興味深いストーリーですが、 ARPAnet ※ プロジェクトはそのような背景の中で、核戦争などの非常事態においても機能する軍事的指揮命令系統、つまり通信システムを研究することを大きな目的に始まりました。
※
ARPAnet
高等研究計画局(Advanced Research Projects Agency)が、コンピュータ同士を接続して情報をやり取りすることを研究するために計画し、構築したネットワークです。当時のコンピュータは文字通り「計算機」であり、それを連携して動作させるというのはとても革新的な取り組みでした。
1965年に最初のネットワーク実験に成功、1967に最初のARPAnet設計書を作成、1969年に最初の RFC ※ を発表。またARPAnetの最初の接続点で接続に成功、1972年に電子メールの基本プログラムが作成され、1974年TCPの概要を公表するなど、ARPAnetを中心としたコンピュータネットワークの技術は着実に進んでいきます。
※
RFC
Request For Comment。文字通り訳すと「こういう仕様を考えたのでコメントをください」となりますが、今ではインターネット関連のルールを記載した文書としての役割を果たしています。
ARPAnetの実験は1978年に終了しますが、ネットワークの実体は存続し、その後インターネットと呼ばれるようになります。Webが開発されたのは、ずっと下って1991年のことです。
このようにARPAnetプロジェクトは今から30〜40年も前のことになりますが、そのプロジェクトにかかわった当時若手の技術者の中には、今でもシリコンバレーにおいて現役で活躍している人もいます。今回話を伺ったナイティン・スー氏は、今はシリコンバレーでWebアクセラレータなどを提供するアレイネットワークスの CTO ※ ですが、スー氏が大学を出て初めて巻き込まれたプロジェクトが、このARPAnetでした。
※
CTO
Chief Technology Officer、最高技術責任者。社長に相当し経営を担当するCEO(Chief Exective Officer)と並んで、技術を主体にするシリコンバレーの企業においてもっとも重要な責任者です。
この連載の記事
-
第14回
デジタル
バーチャルワールドは世界を変えるか? -
第14回
デジタル
ワイヤレスセンサネットワークが動き出した -
第13回
デジタル
ジュニパー上級副社長が語るJUNOS戦略 -
第12回
デジタル
経済危機でイノベーションにもブレーキか -
第11回
デジタル
アメリカでモバイルWiMAXの商用サービス始まる -
第10回
デジタル
XGP−−次世代PHSはアジアに定着するか? -
第9回
デジタル
仮想サーバの中のネットワークって何だ? -
第7回
デジタル
ネットワークアプライアンスをとりまくエコシステム -
第6回
デジタル
アメリカ金融界で導入が進むCEPとは? -
第5回
デジタル
見えてきた次世代ファイアウォール - この連載の一覧へ