反響ゼロから逆転。人気YouTuber弁護士が説くわかりやすく伝える力の重要性
【「第3回IP BASE AWARD」知財専門家部門奨励賞】日比谷パーク法律事務所 弁護士・弁理士 井上 拓氏インタビュー
この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」(外部リンク)に掲載されている記事の転載です。
「第3回IP BASE AWARD」知財専門家部門の奨励賞を受賞した井上 拓氏(日比谷パーク法律事務所)は、経済産業省 特許庁の「モデル契約書 ver2.0」プロジェクトでスタートアップ支援に尽力。またYouTuberとしても知的財産法の解説番組を配信し、広く知財の普及啓発に取り組んでいる。同氏がYouTubeを展開する理由、スタートアップが早期に知財専門家にリーチできる環境づくりのアイデアを聞いた。
動画を上げても反響がまったくなかったYouTube開設
第3回IP BASE AWARD では、弁護士YouTuberとしての活躍や経済産業省によるオープンイノベーション促進のための「モデル契約書 ver2.0」作成などが評価された井上氏。もともと東京大学工学部出身で、大学では複雑系工学の研究に携わっていたが、将来的には優秀な研究者をサポートする仕事に就きたい、と考えるようになったという。高校時代に見たテレビドラマ「HERO」で法律家にあこがれていたこともあり、大学院で法律を学び弁護士の道へ進んだという。
「大学院では特許法のゼミと著作権のゼミに所属し、司法試験の選択科目も知財を選択。弁護士として知財を武器にしようと、訴訟と知財に強い日比谷パーク法律事務所に入所しました」(井上氏)
当時は弁理士登録はしておらず、弁護士として知財案件のほかにも企業法務全般、ときには離婚や交通事故までさまざまな事件に携わった。転機となったのは米国留学で、初心にかえって自分のキャリアを考えるきっかけになったという。
「日本はアニメなどのコンテンツが圧倒的に強い。一方で、作り手は搾取されており、人材やノウハウが海外にどんどん流れてしまっています。このままだと日本の圧倒的なコンテンツ力が数十年後には海外にとって代わってしまう。個人のクリエーターには、知財を不当に搾取されないような知恵を付けてもらいたい。企業にも海外の競合にも対抗できるようにビジネスロイヤーとして知財を守るなど、知財に尖った形で日本に貢献したい、という気持ちを改めて強く思いました」
そのような意識から、まずは知財の基礎知識を広めるため、YouTubeチャンネル「弁護士井上拓のフロンティアCH」を開設。当初は、インターネット上の誹謗中傷が社会問題となっていたことから、最初の2本は米国のディスカバリー制度を伝える番組を配信した。3本目以降は、著作権、特許権、商標法、意匠法、など知財の解説番組を64本、合計66本もの動画を配信した。
「海外からは日本のアニメがものすごく評価されているのに、それを支えているアニメーターなど絵師さんたちは契約条件が悪く、疲弊している。まずはこうしたクリエーターの方々に、著作権の基礎の基礎くらいはお伝えしたい、という気持ちでスタートしました。著作権をわかりやすく解説したところ、それなりの人が見てくれたので、特許権などに横展開していきました。こんな法律があり、こんな権利がある、ということをある程度知っていないと相談にも行けませんから。弁護士に相談にするための最低限の基礎知識くらいは、無料でみんなが見られるようになったらいいな、と」
今でこそチャンネル登録数で1万人を超えるほどの人気だが、開設してしばらく、上述した解説動画にはまったく反響がなかったそうだ。
「当時はオリエンタルラジオの中田敦彦さんのYouTube大学が盛り上がっていたので、これからはエンタメだけではなく学ぶ系の動画が流行るのだろうと思いました。そして、専門家の解説であれば高く評価され、みんなが見てくれるだろう……、と思っていたのですが、実際にはぜんぜん再生されなくて。登録者数が1000人にいくまでは、半分くらいが自分の再生だったと思います。価値のある動画を作っている自負があったので、ショックでした。が、つくるだけでなく届ける工夫も重要なのだなと理解して、受験関連のチャンネルなどとのコラボを始めて『宣伝』を続けていくうちに、うちのチャンネルにも少しずつ人が来てくれるようになりました」
まじめな知財の解説だけでは登録者数は増えない。受験や留学のエンタメエピソードトークも続けていくうちにチャンネル登録者数が増え、規模が増えたことで一定数の新しい人が見にくる流れができているそうだ。当初に公開した特許法の制度解説の動画の再生数は、異例の1万弱の規模まできている。
「1万人いる登録者のみなさんの大半はエンタメで来てくれています。ただ、興味をもってくれた人の1%や2%でも、知財の解説などの堅いコンテンツを見てくれればいい。そのために1年半ほどの時間をかけて大きくしてきました」
モデル契約書のパンフレットは最前線の担当者に読んでほしい
帰国後は、大手総合商社の社内コンサルを担う法人の知的財産室に勤務し、社内スタートアップの支援などを担当。個人案件としても友人や留学先で知り合ったスタートアップなどから相談を受けることが増えてきたという。
モデル契約書プロジェクトについては、井上氏は初年度からモデル契約書の作成作業に参加し、2021年度の新素材編の改定では主任を務めている。初年度の2020年は新素材編、AI編のモデル契約書 Ver1.0の作成、2021年度はVer 2.0へのアップデートと大学編を策定。2022年度は、モデル契約書を広めることがテーマだ。
「2021年から広報に力を入れて、セミナーを何度か開催しています。官庁がセミナーを主催することで信頼性が高まり、そこに我々弁護士や弁理士が登壇して積極的に広報活動をしていることが伝われば、実際にモデル契約書が使われる場面での後押しとなります。また、モデル契約書をわかりやすくコンパクトにまとめたパンフレットがポータルサイトに公開されているので、ぜひ見ていただきたいですね」(井上氏)
実際にスタートアップが大手企業との連携するタイミングとなると読む時間がなくなってしまうので、平時のうちに目を通しておいてほしい、とのこと。
「理想は、これから起業する方、登記したばかりのスタートアップに読んでいただきたい。また、経営者だけでなく、現場の営業職やエンジニアの方々にも読んでもらいたいですね。もちろん全部を覚える必要はないし、詳細を忘れてもらってかまわないので、どんな法律があり、こういう守り方をするのか、という大まかな流れやポイントをつかんでもらえれば。
大企業の方との商談の場では、フロントの営業担当者が問題に気付かないと問題を拾えません。いったん現場で決まったことを後から押し戻すのは難しいので、フロントの営業担当者が最低限の知識をもっておくことが大事です」
モデル契約書は、スタートアップだけでなく、オープンイノベーションに取り組む大企業側からも反響が大きく、社内で稟議を上げる際の資料として役立つこともあるようだ。
スタートアップが法律家へリーチしやすくする環境を
井上氏によると、他社との取引だけでなく、スタートアップでは社内でも契約上のトラブルが起きやすいという。
「創業者間での契約がない会社は非常に多いです。創業者は株式シェアが高いうえに、数年後も創業メンバー全員がそろっている確率は少なく、流動性が高い。影響力のある人が離反した際に創業者間契約がないと、トラブルが発生し、最悪の場合、それが原因で資金調達ができずに立ち行かなくなってしまいます。最初が一番大事なので、創業者間契約書は必ず結んでおくことをおすすめします」(井上氏)
スタートアップは、トラブルが起こらない限り、なかなか弁護士に出会わない。そのため、もっと早い段階から法律の専門家にリーチし、予防法務に取り組んでほしいそうだ。
「会社を作ると決算があるので、税理士や会計士にはすぐに出会いますが、弁理士や弁護士には順調であればあるほど出会うことがありません。でも順調に見える間に、後からでは対処しづらいトラブルが潜在的に発生していることがあります。定期検診のように1年に1回ぐらいは相談に行くような啓蒙をしなければいけないと思っています。
我々はお医者さんみたいなものです。大企業は大人の体力があるから、風邪をひいても自力で治せますが、スタートアップはいわば乳児なので、ちょっとした風邪でも放っておくと命にかかわる。例えば、労働問題が1件でもあれば弁護士費用を含めると数百万円のインパクトになることもありますし、トラブルを抱えていると資金調達もできず、大きなダメージになります」
スタートアップにとって予防法務は大事だが、弁護士の相談費用は1時間当たり数万円と高額だ。どうにかして費用を抑える方法はないだろうか。
「合同説明会形式といった形もあるのではと思っています。時間制なので、10社くらいのグループで1時間相談すれば、1時間3万円の弁護士でも1社3000円で済みます。自社の相談は1つだけでも、ほかの人の質問も勉強になります。もう1つは、顧問契約を締結することです。顧問契約は毎月のお金が発生しますが、将来性を見越して金額を低く抑えてもらえる可能性があります。士業側からすると最初の2~3年は少額でも、成長後は正規の顧問料がもらえることが担保されれば、将来への投資として引き受けてくれる可能性はあると思います。お互いに将来を見通した関係性が築けるので、スポットよりも効率的ですよ」
最後に、専門家としてスタートアップを支援する際のポイントを聞いた。
「わかりやすく伝える力が大事です。大企業はカウンターパートが法務部なので法律用語も通じますが、同じ感覚でスタートアップに対峙すると伝わりません。法律用語を使わずに、かみ砕いて説明できる人が生き残るでしょう。わかりやすく伝えることは我々が思っている以上に大事な気がします」