独自のエッジAIで国内大手企業にライセンス提供を進める大学発スタートアップの賢いやり方
株式会社エイシング 代表取締役/CEO 出澤 純一氏インタビュー
この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」(外部リンクhttps://ipbase.go.jp/)に掲載されている記事の転載です。
株式会社エイシングは、製造業向けにエッジAIアルゴリズムを研究開発するスタートアップ。同社が独自開発したエッジAIは、高速な予測と制御が要求される工業機械や自動車、ドローンなどの制御に導入されており、現在の連携先は大手数十社を誇る。十数件の特許をもち、受託開発ではなく、AIアルゴリズムのライセンスを提供しているのも特徴だ。同社独自の技術と知財戦略、そして特許庁が提供する知財アクセラレーションプログラム・IPASの成果について、CEOの出澤純一氏に伺った。
機械制御系のエッジAIアルゴリズムを研究開発
株式会社エイシングは、製造業をターゲットに機械制御系のエッジAIを開発している岩手大学発ベンチャー。製造業において生産性と品質はトレードオフの関係にあり、この2つをいかに両立させるかが長年の課題だった。
同社のAIは、製造工程の機械制御に用いることで、生産性と品質の両立を実現するものだ。
代表的な事例となるオムロン株式会社の生産ラインへの導入では、リチウムイオン電池にバッテリーセパレーターフィルムを貼り合わせる工程の制御に同社のエッジAIデバイスを組み込むことで、振動による不良品の発生を抑え、10分の1以下まで廃棄ロスを削減できるようになったという。
現在、オムロンのファクトリーオートメーション(FA)化のほか、株式会社デンソーとはNEDOのプロジェクトでドローンの安定制御の実現、JR東日本とは新幹線設備の熱効率最適化の実証実験など、大手企業数十社との協業に取り組んでいる。
多くのAIベンダーがディープラーニングなど既存のアルゴリズムを用いるのに対して、同社のエッジAIアルゴリズムは独自開発されたものだ。
一般的なエッジAIは、センシングデバイスにAIを搭載し、クラウドを通さず学習・推論といった処理をすることで、リアルタイムな対応ができる。端末群から集めたデータの学習をクラウドで行なうものや、コスト削減やセキュリティーを高めるため、端末単独で稼働するものもある。
だが、リアルタイム性を売りにしてはいても、通信による遅れは数ミリから数十ミリ秒発生し、工場のFA制御や自動車制御ではこの遅れが致命的になってしまう。エイシングのエッジAIは、インターネット接続なしにデバイス側だけで学習・予測が行なえるのはもちろん、動的な環境変化を瞬時かつリアルタイムに処理できるのが特徴だ。
オムロンの例でいえば、リチウムイオン電池のセパレータフィルムの部材貼り合わせ工程は、異なる部材が秒速2メートルで機械に巻き取られる。気温や湿度、フィルム特性で振動が起きるため、この制御で不良品の発生数が変わってくる。従来の制御技術だと10秒かかっていたところを、エイシングは1秒以下まで抑えることで、廃棄ロスを大幅に下げることに成功。生産性と品質を向上させた。
代表の出澤氏は、早稲田大学で機械工学を専攻して制御技術を学び、研究室でロボットを制御するためのAIアルゴリズムの研究を手掛けていたため、機械制御とAIの2つに精通している。オムロンの事例のような工業機械の自動化は、機械制御とAIの両方の技術と知見がなければ実現は難しい。さらに、できあがったAIソフトウェアを限られたメモリーやCPUの領域内で効率よく処理させるための実装技術も必要だ。この制御・AI・実装の3要素をすべて満たす企業は世界的にも類がなく、これが同社の競争優位性になっている。
強い知財と確かな技術力を武器にライセンス契約で大手と対等な関係を築く
2021年現在、同社独自のエッジAIアルゴリズム「AiiR」シリーズとして、初期に開発された木構造のAIアルゴリズム「DBT」、ランダムフォレストをベースとした逐次・リアルタイム学習が可能な「SARF」、指先大のマイコンに実装できる超軽量・高精度な「MST」の3つを展開。これらすべてのアルゴリズムにおいて複数の特許を取得済みだ。これらの技術は共同開発や実証実験からの導入を経て、ライセンスを提供している。
「AIベンチャーは下請けになりがちですが、ライセンス提供という対等な立場が取れているのも知財があるおかげだと思っています」と出澤氏。
ソフトウェアのアルゴリズム特許において、同社がこれまで出願した特許は、すべて成立しているという。
「もちろん拒絶理由通知がきて部分的に項目を修正したものもありますが、一発特許査定や広い権利が取れたものも何件かあります。誰もやっていないオリジナルな技術なので、確かに新規性・進歩性があると認めてもらえたのでしょう」(出澤氏)
海外へのPCT出願を利用した特許出願も大部分が取得できているため、世界的にもかなり先行しているようだ。
もともとDBTは岩手大学の准教授が思いついたアイデアが基になっており、エイシングは、岩手大発ベンチャーとしてスタートしている。ただし、大学との共同特許は2件のみで、その後の十数件は単独所有となっている。
大学発スタートアップでは、大学側との知財交渉で難航するケースも数多いが、大学との交渉をうまくまとめる秘訣を尋ねると、「早い段階から大学とのライセンス契約を結び、権利関係を明確にしておくことが大事」とのこと。そのうえでエイシングは、企業側から受けたライセンス料の数パーセントを現在も岩手大学に支払っており、大学側に十分な還元をしている。
また、協業先の大手企業との関係も良好だ。「2018年のオムロンとの提携発表の際は、役員の方が『これから2年間で実現したいものはすべてエイシングの技術で賄えることがわかりました』と言ってくださいました。前向きに捉えれば、弊社にしかできない技術があったということ。それを見抜いてくださったのだと思います」
創業当初は実装技術を持っておらず、オムロンとの協業からその必要性を知り、組み込みに強いエンジニアを獲得して、1年後には現在の体制が整えられたという。大手もエイシングの技術力をきちんと認めつつ、足りない部分についてはサポートしてくれる、という良い関係が築けている。
IPASのメンタリングで知財戦略に自信がついた
知財活動については、創業してすぐに出澤氏が長く交友し信頼関係もある弁理士に依頼した。
「彼は、学生時代に弁理士資格を取り、大手企業の知財部に数年間勤めたあと、実家の弁理士事務所を継ぎ、さらに米国パテント・エージェント資格も取得しています。もともとAI関連の研究室にいたので我々の言葉もわかるし、大企業の知財部にいたので、大手企業と長く付き合っていくための知財交渉対策も取れるわけです。」(出澤氏)
知財は、M&Aや企業との業務提携については、最もコアな部分である。エイシングでは、主導権を持ち、大手企業との交渉で対等な関係作りができる権利範囲をあえて狙って押さえていく、というのがエイシングの知財戦略だ。
特許庁のIPASに応募した理由は、自分たちの立てたこの戦略が正しいのかを確認したかったからだという。IPASにおけるメンタリングでは、隔週で面談し、最初に出澤氏が仮説を話して、それに対してメンターから意見をもらうという形で、いわゆる壁打ちを行なった。
ライセンス交渉の過程では、自社側の条件をすべて飲んでもらえるわけではないので、どこまでなら相手に譲歩できるか、という線引きが難しい。そもそもAI系の知財をライセンスで提供する、という交渉の前例はほとんどなく、損害賠償の範囲、料金についてもゼロから設定していかなくてはいけない。メンタリングでは、これらについてメンターにアドバイスを受けながら、同時に、顧問弁護士と弁理士、ブレーンからも意見を聞いて、落とし込みをしていったという。
「これまで仮説しかなかった戦略を専門家の方々に評価してもらえたことで自信がつきました。いろいろな視点の意見を聞きたくても、自力で専門家を探すのは難しいですし、お金もかかるので、無料というのは大きいですね。特許庁の企画という安心感もあり、事前にNDAもきちんと結び、相談しやすい環境でした」と出澤氏。
専門家からのお墨付きを得て、知財戦略をより積極的に進め、いまは数ヵ月に1件のペースで出願し、特許ポートフォリオを固めている。
アルゴリズムは秘匿されるケースが多いが、エイシングの場合、広い権利範囲を押さえているので、公開内容を見られても再現できないと出澤氏は自信を見せる。もちろん、特許化によってノウハウが公開されてしまう部分もあるので、公開範囲の見極めについてはしっかりと議論している。
弁理士の顧問料や出願料等を含めると、知財にかかる費用は年間数千万円。事務所の賃料などのコストは必要最低限に抑えながら、知財に予算を割き、さらに東京都の補助金なども利用している。2020年3月にはシリーズBラウンドで7億円を資金調達しているが、これも十分な知財予算を確保するための調達だった。
現在エイシングは、新技術の「MST」の知財ポートフォリオの構築に注力している。
「MST」は、従来のDBTやSARFでは実装できなかった小さなデバイスにも搭載可能で、産業機械の自動化だけでなく、センサーデバイスの知能化、自動車のエンジンコントロールユニットやモーターコントロールユニットに搭載して車の自動運転をさせるなど、さまざまな分野へ用途が広がってくる。同社が展開する技術と知財の戦略に今後も注目が集まることになりそうだ。