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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第489回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー 互換機市場を形成したIBM-PC

2018年12月17日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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IBM-PC発売直後から爆発的な人気
入荷待ちは約1ヵ月

 Project Chessでは、5年間に25万台のIBM-PCを製造・販売するというプランに基づいて価格を決定したが、現実には1982年末までに20万台近くを、1983年末までには75万台を販売することになった。5年で販売する予定だった3倍を、2年半弱で達成した形である。

 1982年10月と1983年3月で比較すると月間売上は4倍になったそうで、1983年の中ごろにはPCの月間生産台数は4万台に達したが、それでもディーラーからのバックオーダーは解消しなかったというから恐ろしい。

 米BYTE紙でChaos Manor(日本語版は「ジェリー・パーネルの混沌の館にて」)で有名なJerry Pournelle氏は1983年7月上旬にオーダーしたところ、納品されたのは同年11月1日だったとか。GSDの拠点でもあり、Project Chessの所在地だったボカラトン近辺ですら、IBM-PCの納期は平均5週間程度だったという記録もある。

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 当然これだけの生産量をこなすとなると、提携企業がフル操業なのは言うまでもなく、Project Chessで生産に携わる人員も大幅に増えることになる。

 1983年8月に従業員が4000人を超えたProject ChessはESD(Entry System Division)という事業部に昇格したが、1984年には従業員が9000人を超えるという急速な拡大ぶりである。

 この大幅な需要は、売り方そのものにも影響を及ぼした。当時IBMと販売契約を結んでいたBusinessLandの場合、売上の65%がIBM-PCとその関連商品だったという話もあった。ほかにSearsおよびComputerLandと販売契約を結んだが、これに加えてIBM自身も直販店を設けた。これは実はIBM側の事情である。

 IBM-PCの売上はESDが一手に握ることになったが、これはIBMの営業部隊からするとまったくうれしい話ではない。そこで営業部隊が直販店を置き、ここでESDから仕入れたIBM-PCを販売することで売上を上げたい、という社内的には切実な理由であった。

 ただ結果から言うと、直販店はPCの修理なども扱うことになり、ユーザーにとってもメリットが生まれることになった。この直販店のモデルは、現在のApple StoreやMicrosoft Storeなどのモデルとなったというのもおもしろい話である。

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