和歌山県海南市は和歌山県北部にある。「海草郡南部」が地名の由来で、2005年4月に旧海南市と下津町が合併して誕生したのが現在の海南市だ。関西空港からは大阪市街よりも近い場所にあり、JR西日本大阪駅から大阪環状線で天王寺まで約21分、天王寺から特急くろしおで海南まで約53分。人口は約5万7000人で、和歌浦湾に面した臨海工業地帯には製鉄所や火力発電所、石油精製施設が建ち並び、漆器の日本四大産地の1つ紀州塗と全国シェア8割以上を占めるトイレ、バス、キッチン用品など、水回り品を中心にした日用家庭用品産業とが地場産業という街だ。
和歌山県北部にある海南市 大きな地図で見る
海南はもともと工芸が盛んだった。タワシや箒など、シュロ(ヤシ科の常緑高木の総称)を加工した「シュロ産業」が江戸時代からあり、日清・日露戦争では軍の弾薬箱の手縄として大量の需要が生まれ、地場産業の素地ができた。もっとも、日露戦争後には原料のシュロを地元や国内産だけではまかなえなくなって中国からの輸入が増えた。やがてスリランカなどの東南アジアから椰子の実の繊維(パーム)を輸入するようになり、シュロよりも安価なパームが台頭。シュロの生産から最終製品までを製造するシュロ産業は、実態として「パーム加工業」に変わっていった。
そのパームも、高度成長期には、ビニロン、発泡ポリエチレンなどの化学繊維に取って代わられ、さらに日本人の生活様式が和から洋へ転換。タワシはスポンジに、箒はモップへと、役割は同じでも最終製品が変化した。最近では、安価な中国産におされ、デザインや機能性など、高付加価値路線で成果を出している所もあるようだ。かつてのシュロ産業が時代に適応した姿が、現在の日用家庭用品産業というわけだ。
海南市によると、日用家庭用品産業に関わる企業数は245社。「ものづくり創造支援事業」として、新商品開発、高付加価値化事業に市が補助金を付ける制度があり、製造品の年間出荷額は約700億円という。シュロ栽培は空海(弘法大師)が唐から持ち帰った種を寺院の庭に植えたのが始まりという伝説がある。その種が1200年経って海南市の産業を支えているわけだ。
そして、海南市のもう一つの産業が漆器である。こちらの歴史は相当古い。