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科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第59回

【JSTnews1月号掲載】特集1

脱炭素への道筋を論理的・定量的に提示する「社会シナリオ」とは?

2026年01月13日 12時00分更新

文● 本橋恵一/写真●上樂博之

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 国内では記録的な猛暑や山火事が発生し、海外では洪水も頻発するなど、気候変動による災害が毎年のように発生している。JSTでは2009年に低炭素社会戦略センター(LCS)を設置し、低炭素社会実現のための社会シナリオ研究事業を推進してきた。東京大学先端科学技術研究センターの杉山正和教授と横浜国立大学大学院環境情報研究院の本藤祐樹教授は、理工学系から人文社会科学系まで幅広い研究者の知を取り込み、望ましい社会の実現に向けた戦略を示す「社会シナリオ」を描き、脱炭素への道筋を論理的かつ定量的に示そうとしている。

安全保障にも関わる気候変動
最も納得して選ばれる社会へ

 「気候変動問題は、東西冷戦終結後の新たな安全保障問題だというのが、世界中の認識となってきました」。そう話すのは、JSTの低炭素社会実現のための社会シナリオ研究事業(以降、社会シナリオ事業)のプログラムオフィサー(PO)を務める東京理科大学の森俊介名誉教授だ。気候変動問題について今でも懐疑論者はいるものの、科学者の多くは、人間活動のせいで大気中の二酸化炭素が増えた結果、気候変動が進行して記録的な猛暑や海面上昇などさまざまな被害が発生していると考えている。

 だが、残された時間が少なくなる中、2050年までに温室効果ガス排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル(CN)」に向けた対策は直線的には進んでいない。そうした中で必要とされるのは、どのような対策を取るべきかだけでなく、必要な対策をどう進めれば社会に最も受け入れられやすいかを検討することだ。「低炭素社会の実現は、地球温暖化対策と同時に『人々から最も納得して選ばれる社会の実現』という目標を達成しようというものです」と森さんは説明する。

 さらに、気候変動という長期的な事柄には、技術開発や環境影響など不確定な要素が数多く存在する。こうした不確実な未来を扱うために森さんらが取ったアプローチが「社会シナリオ研究」である。シナリオは元々、映画などの台本を指すが、気候変動やエネルギー分野では「不確実な未来を分析するため、内部整合的でもっともらしい複数の将来像を示したもの」を指す。本課題では、具体的に、「現状認識」「行動」「環境や社会の応答」「次の行動」を順序立てて定量的・論理的にまとめたストーリーのことと位置付けた。

未来予測ではなく「ツール」
全体と地域で二手先を読む

 森さんらの作る社会シナリオは、囲碁や将棋のように例えると、未来で起こり得る事象とそれに対する「相手側の次の一手」、それに対する「こちら側の次の一手」をできるだけ論理的かつ定量的に示すものだ。「二手先まで考えておくことで初めて、温暖化対策への行動指針として企業の技術開発戦略や政策決定に役立つものになります」と森さんは語る。

 社会シナリオ事業では、2050年のCN実現に向けて、日本の社会像やエネルギーの需給、脱炭素化の進行具合、それに至る道のりを定量的に描くことを目指す。だが、社会シナリオは運命論的な未来を予測するものではない。あくまでも、社会の姿とその社会における脱炭素・エネルギーの状況をコストも含め定量的に示し、政策や課題を科学的かつ総合的に議論できるようにするための「ツール」という位置付けだ。

 具体的な研究課題は2つある。1つは、東京大学の杉山正和教授が代表を務める「日本全体をマクロにとらえた社会シナリオ」、もう1つは横浜国立大学の本藤祐樹教授が代表を務める「産業や自然といった地域特性を反映した社会シナリオ」である。杉山さんの課題では、複数パターンの未来社会像を設定し、それぞれの未来社会について、エネルギーと二酸化炭素排出がどのように変化するかなどを定量分析する。本藤さんの課題では、地域への再生可能エネルギー(再エネ)の導入量を明らかにし、その導入が産業構造や雇用など地域社会にどのような変化を与えるかを分析する。

日本のCN像を3視点で作成
明るく豊かな社会を選ぶために

 杉山さんの研究は5つの研究グループで進められ(図1)、日本全体をマクロに捉える社会シナリオでは、2050年にCNが実現した社会の複数の姿が描かれている。「私たちが目指す社会の姿について、複数のパターンを設定して定量化し、徹底的に分析した結果が今回の成果です」と杉山さんは話す。

図1 杉山さんの課題では5つのグループが協調して研究を進めている。

 作成した社会シナリオは3つ(図2)。1つ目は、世界が協力して、再エネの利用や革新的技術の普及が進み、経済成長と環境保護を両立する「国際協調型CN社会」。2つ目は、地域密着型の分散型エネルギーシステムを特徴とし、国内資源の活用や農業との融合により自給自足的なエネルギー体制を構築する「自給自足型CN社会」。3つ目は、CNは達成するものの、グリーントランスフォーメーション(GX)政策の失敗や技術導入の遅れによって経済的に疲弊し、エネルギー貧困や格差の拡大が深刻化する社会だ。

図2 目指す社会に基づいて3つの社会シナリオを設定し、それぞれの社会シナリオを比較分析した。

 1つ目と2つ目の社会シナリオが明るく豊かな社会であるのに対し、3つ目は暗く貧しい社会となっている。これらのシナリオ群では、あえて暗く貧しい社会を提示することで、望ましくない将来を避けるために必要な施策の検討につなげることを狙っている。また、明るく豊かな社会シナリオを並べて提示することで、明るく豊かなCN社会の実現に必要な政策の組み合わせや事前に回避すべきリスクを示すことができる。同じ明るく豊かな社会であっても、国際協調型では安価なグリーン水素などが輸入されるようになるが、自給自足型では国産の再エネにこだわる。その結果、電源構成の大きく異なった姿が示された(図3)。また研究では、行動が遅れるほど選択肢が狭まり、コストや困難が増すという結果も得られた。

図3 図2のそれぞれの社会における、発電電力量と電源構成の推移。

 こうした成果は、共同研究メンバーの東京大学未来ビジョン研究センターの杉山昌広教授が、社会コスト最小化やエネルギー安全保障といった社会シナリオの分析を担当し、導入され得る技術の詳細をカバーすることで実現した。今後の課題は、この成果をいかに多くの人々にわかりやすく伝えるかだ。これから私たちが明るく豊かなCN社会を選び取るためにも、広く一般の人に理解してもらうことが必要だと研究代表者である杉山正和さんは意気込む。

再エネと地域経済を軸に分析
産業・雇用構造の影響も考慮

 再エネシステムを構築する際にはコストだけでなく、地域の経済や産業・雇用構造への影響を考えることも重要となる。例えば、脱炭素に太陽光発電は重要な役割を果たすが、導入には地域住民の理解が不可欠だ。

 こうした観点から、本藤さんらは地域特性に着目した社会シナリオの作成を進めている。本藤さんは「地域経済の活性化、エネルギー安全保障などを同時達成できる脱炭素化であれば、多くの人が賛同しますし、さらに地域の強靭(きょうじん)化といった利益が見込めればより受け入れやすくなります」と語る。本藤さんらは再エネと地域経済の2つを軸に、エネルギーシステムモデルと産業連関モデルを結び付けた定量的な社会シナリオ分析をしている(図4)。

図4 本藤さんの課題では、地域ごとのエネルギーの状況と産業状況を分析し、地域に適した再エネ導入により地域の産業・雇用がどのように変化するかを分析する。

 エネルギーについては、細かいエリアに分けた高い解像度でモデルを作成することで、太陽光発電や風力発電、地熱発電を導入可能な地域などをわかりやすくする。また、再エネの導入によって発電所の建設や周辺の整備が進み、地域に雇用が増える可能性がある。これにより日本の産業配置が転換し、再エネが豊富な場所に生産拠点を移動することも予想される。その結果として社会がどう変化するのかを描いていく。

 この2つのモデル分析を結び付けるのが再エネ資源量の推計だ。例えば、太陽光発電の導入にあたって、公共施設に設置可能な設備は限られる(図5)。その代わりに重要となるのが一戸建て住宅や民間の建物への設置だ。加えて、建物への太陽光発電の導入可能量は地域によって異なる。この2つのモデル分析を基盤として、時間的な推移をシミュレーションすることで、地域経済がどのように変化するかが見えてくる。

 本藤さんらは現在、再エネと地域経済を2軸とした定量的シナリオの段階から、多様な要素を定性的に導入した社会シナリオの分析へと進んでいる。こうした社会シナリオは、地域支援のあり方に関する政策立案の土台にもなっていくものだ。

図5 一戸建て住宅、公共施設、民間の建物のそれぞれに設置可能な太陽光発電の設備容量を市町村別に推計した結果。

磨き上げたピース組み合わせ
「大きなパズル」を完成させる

 杉山さんは研究の今後について「外部の専門家との対話を通じて、技術開発と結び付けたり、政策決定者との対話を通じてフィードバックをもらったりすることで、社会シナリオを深掘りしていきたい」と話す。本藤さんは「エネルギーと地域経済の定量的分析に、他の情報を定性的に組み込むなど、定量モデルの分析結果をわかりやすく伝えるための工夫をしていきたい」と語り、今後はAIの活用も検討しているという。「AIと人間のコラボレーションによる社会シナリオ分析の方法論が確立できれば、他のモデルにも応用できます」。

 森さんは、個別の課題は着実に成果を上げているとして、これらを「磨き上げられたジグソーパズルのピース」と表現する。それぞれのピースがぴったりと組み合わされることで将来の可能性が示されると同時に、次の世代、次のプロジェクトにつながる大きな絵が描かれるジグソーパズルになると語る。「この取り組みは、小さなパズルを完成して終わりではなく、サグラダ・ファミリアのようなビッグプロジェクトです」と熱く語る。2050年の脱炭素社会の実現はもはや遠い未来の話ではない。できることがだんだんと限られてくる中で、この事業の重要性は増すばかりだ。

森俊介さん(写真右) この事業の成果は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)にも参考にしてもらえるものを目指しています。気候変動対策の自然や社会の応答に対し、さらにその次の一手を準備する社会シナリオにすることで、日本の政策立案に役立つものにすることが第一歩です。

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