「いい薬を、安くつくる」ために。iSiPが挑む「デジタルネイティブ創薬」の現在地
GPUで殴らず、分解して再構築する。創薬の現場発“ロジックで攻める”AI戦略
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新薬開発は、時間と金の勝負だ。ひとつの薬を世に出すまでに必要な期間は、10年から15年。かかる費用は数百億から、場合によっては数千億円にのぼる。しかも、成功率は3万分の1ともいわれる非常に厳しい挑戦だ。
薬価が国によって抑えられている日本ではそのリターンが見合わず、製薬会社がリスクを取れなくなっている。結果として、「日本発の画期的新薬」は生まれにくくなっているのが実情だ。
一方、米国では医薬品の価格が日本の数倍以上とされ、新薬開発が活発な半面、「命に値段をつけすぎている」との批判も根強い。ドナルド・トランプ大統領は、薬価の引き下げを政策の一部として掲げており、製薬業界に対する価格交渉力の強化や薬価透明化の取り組みが継続的に進められている。
「安いと薬がつくれない」と「高いと手が届かない」。このジレンマをどう乗り越えるか? その鍵として、いま改めて注目されているのがAI創薬だ。
創薬の効率を上げ、コストと期間を大幅に削減できれば、日本でも再び“攻めの創薬”ができるかもしれない。そんな可能性に挑むのが、AI創薬スタートアップのiSiP(アイシップ)株式会社だ。
2022年1月創業の同社は、自らを「デジタルネイティブファーマ(Digital Native Pharma)」と名乗り、既存のAI創薬とは一線を画す独自のアプローチで業界に挑んでいる。CEOの新名芳有氏に、その戦略と思想を聞いた。
大手が7~8年間・15億円かけて見つからなかった原石を2週間・800万円で掘り当てた
「グローバルの製薬会社が求めているのは“今までにない薬”です。よくある成分の組み合わせや改良では、もう勝負にならない」
そう語る新名氏は、創薬ターゲットを「ローハンギングフルーツ(低い位置の果実)」と「ハイハンギングフルーツ(高い位置の果実)」で表現する。すでに知られている、取りやすいターゲット(ローハンギング)は取り尽くされ、いま残されているのは攻略が難しい“高所”にあるフルーツばかりだ。
高所の例として、「PAC1受容体」は、片頭痛や神経系疾患との関わりが示唆されていながら、有効な低分子薬が見つかっていない難標的のひとつとされる。そのため、現在の片頭痛治療薬は神経系全体に作用するような設計が多く、副作用リスクや効果の個人差といった課題が残りがちだ。
「だから我々は最初からハードルの高いターゲットである、片頭痛治療薬のPAC1受容体に挑みました。製薬大手のバイエルが7、8年の期間、15億円規模のリソースを投じて成果が出せなかった対象に対して、我々は探索2週間、実験2カ月、予算800万円でヒットレート95%を出しました(リリース)」(新名氏)
従来のAI創薬は、大量の教師データを前提とし、既存のヒット化合物や特許情報に基づく“延長線上”の提案にとどまっていた。AIを使っても、過去のデータの枠組みから抜け出せず、本当に新しい薬の種を生み出すには限界があるという指摘もある。そのため、AI創薬の精度を高めるには、いかに実際の試験データを大量に集めるかが重要となり、人海戦術的にラボでの実験やデータ収集を繰り返す必要が生じていた。結果として、多くのプロジェクトが効率化されているとは言い難い状況におちいっていた。
一方、iSiPは従来の手法にデジタル技術を後づけするのではなく、創薬プロセスそのものを最初からデジタルで設計し直した、“デジタルネイティブファーマ”としてのアプローチをとっている。教師データに依存せず、未知のターゲットに対しても有効な化合物を導き出すための“省エネかつ高精度”な創薬エンジンを独自開発。創薬プロセスを分解・再設計し、それぞれのフェーズに最適化されたモジュールを組み合わせるという構造により、まったく新しい分子構造の創出を可能にしている。このような仕組みは、まさに創薬の初期段階からデジタルを前提に設計された「ネイティブ」な戦い方といえる。
教師データ不要、GPUも不要。“省エネ高精度”の創薬エンジン
iSiPの技術は、いわゆる“データドリブンAI”とは一線を画す。現在多くのAI創薬スタートアップは、既存のヒット化合物や特許情報、実験データなどを膨大に蓄積し、それを学習させることで新たな薬候補を提案するアプローチを取っている。
しかしiSiPは、そうした従来型のAIモデルに頼らず、ヒット化合物や既存の医薬情報に依存しない極小データで動作する“軽量モデル”を構築している点がユニークだ。
「うちは200万円くらいのゲーミングPCで創薬しています」と話す新名氏。実際、iSiPはGPUサーバーに莫大な予算をかけることなく、CPUベースの環境で創薬計算を回している。その秘密は、創薬フローを「ヒット探索(Hit Discovery)」「リード生成(Lead Generation)」「リード最適化(Lead Optimization)」「前臨床評価(Preclinical Assessment)」という4つのステージに分解し、それぞれに専用エンジンを開発していることにある。
具体的には、ターゲットに対して有望な化合物の“原石”を見つけ出すための「Hit Maker」、その原石が本物かどうかを確認する「Hit ExpAIder」、薬の中核となる構造へと磨き上げる「Lead Generator」、そして薬としての安全性や動態を予測する「Lead OptimAIzer」という4製品群を基盤としている。これらはいずれも複数のサブモジュールで構成され、リスクとコストを下げながら創薬の精度を高めるよう設計されている。
最初に手掛けたのは、「Hit Maker」と呼ばれるヒット探索エンジンだ。このエンジンは7つのモジュールで構成され、段階的に探索を行うことで計算負荷を抑えつつ、精度を高めている。その結果、従来の手法で5%程度だったヒット率を97%まで高めることに成功。この成果により、創業から2年足らずでシード調達を達成している。
「最初は少数のチームで、連日コードを書いてました。何度も何度も試行錯誤して、モジュールを積み上げヒットするアルゴリズムにたどり着いた。このスピードがあったから、シードもシリーズAも、想定よりかなり早く調達できたんです」
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