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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第22回

VRが盛り上がり始めると現実に疑問を抱かざるをえない

2016年05月10日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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人は昔からVRを追い求めてきた

 デジタル業界に限った話ではないかもしれないけれども、毎年毎年、「今年は○○元年」というクリシェ(紋切り型の決まり文句)はことあるごとに繰り返されている。これまでも「バイラルメディア元年」とか「電子書籍元年」とか「動画広告元年」とか、実にいろいろな元年があった。

 今年はなにをさて置いても「VR(Virtual Reality=仮想現実)元年」である。

 実際、「Oculus Rift」や「HTC Vive」、国産では「PlayStation VR」、さらにはスマートフォンを装着するタイプの「Gear VR」などなど、もう膨大な量のVR関連ニュースが日々飛び交っている。米国のリサーチ会社SUPERDATAの発表資料によれば、ハードウェアとソフトウェアを含めた今年の全世界におけるVR製品の市場規模は約30億ドル、これが4年後の2020年には約400億ドルまで達すると予測している。さらに現在はまだハードウェアの普及期に当たり、3年後の2019年頃からソフトウェアの売上がハードウェアの売上を上回るとのことだ。

米国のリサーチ会社SUPERDATAの発表資料「Virtual Reality Industry Report 2016」。レポート全体をダウンロードするためには購入手続きが必要

 しかし、そうしたVR熱に水をさす気はまったくないものの、よくよく考えてみると、これまでのテクノロジーとメディアの歴史というのは、人間が“ここ”ではない場所の情報や“いま”ではない時代の情報を、なんとかして時空を超えて現前させようとする、まさに仮想現実を追い求めてきた結果。VR元年は実は人間の歴史とともに始まったと言えるような気もする。

 以前「電話は聴覚のVRである」という趣旨の原稿を書いたことがあるが、通信メディアの歴史はことごとく空間的な距離から生じる情報共有の時間的な遅延を解消しようとする人間の発明の軌跡である。

 「遠くに住む家族や友人の声や姿を間近に感じたい」「遠くで行なわれている野球の試合をリアルタイムに体験したい」といった欲望が電信を生み、電話を、ラジオを、テレビを生んだ。「tele-」は「遠く」を意味する接頭辞だから、「tele-graph」(電報)も「tele-phone」(電話)も「tele-vision」(テレビ)も、遠隔地との隔たりを消し去った仮想的なリアリティーに対する希求がもたらした技術でありメディアだと言える。

 通信メディアだけでなく、記録メディアも同様で、個人的/民族的/国家的な記憶や物語を通時的に後世へ、さらには共時的に遠方へ継承し伝達したいという欲望の歴史である。私たちは墓石や石碑という記録メディアを前にしたとき、過去に生きていた人物や過去に起こった事柄を現在に招き寄せて想いを馳せるし、紙という記録メディアに印刷された小説を読む際にも、想像力を駆使してその中に没入しようとする。

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