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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第22回

VRが盛り上がり始めると現実に疑問を抱かざるをえない

2016年05月10日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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今後のVRの行方を示唆する「リアリズム1.25倍論」

 リアリティーに関してはこんな話もある。フランスにおけるロマン主義の画家テオドール・ジェリコーの代表作「エプソムの競馬」(1821年)には、「ダービーステークス」に出走した4頭のサラブレッドと馬上で鞭を振るう騎手たちの躍動感あふれる姿が描かれているが、現実には馬はこの絵に描かれたような前肢と後肢を同時に真っ直ぐに伸ばすような走り方はしない。

 イギリスの写真家エドワード・マイブリッジによる有名な疾走する馬の連続写真(1878年)を見れば明らかである。しかし熱狂的な馬好きだったジェリコーはその事実を知らなかったわけではなく、実際にはあり得ない非現実的な描写の方がリアリティーを持つと判断したのだ。

フランスのロマン主義の画家テオドール・ジェリコーが描いた「エプソムの競馬」(1821年)

イギリスの写真家エドワード・マイブリッジが12台のカメラを並べて撮影した疾走する馬の連続写真(1878年)

 1974年に62歳で芥川賞を受賞した作家の森敦は「意味の変容」に収められた「死者の眼」の中で「外部の実現が内部の現実と接続するとき、これをリアリズムという」としたうえで、「われわれのリアリズムは倍率一倍と称する倍率一・二五倍である」と述べている。

 世に言う「リアリズム1.25倍論」である。

 同理論は倍率1倍のレンズを通してものを見るとその対象は実際よりも小さく感じられるというものであり、対象がリアルに倍率1倍として見えるためには1.25倍ほどのやや拡大したレンズが必要であるという。

Image from Amazon.co.jp
「月山」で芥川賞を受賞した作家・森敦による「意味の変容」(ちくま文庫)。「リアリズム1.25倍論」はこの中の「死者の眼」という小編で語られている

 これは上述したジェリコーの絵における「リアルでないもののほうがリアルに見える」という事実と通底する真理を含んでいる。

 ほかにも卑近な例を挙げれば、モノマネがリアルに感じられるためには対象となる人物のエッセンスを多少(森の理屈に従えば1.25倍ほど)誇張したときに「そっくり」というリアリティーが発生するのと同様だ。

 今回はVR元年というワードを契機にあらゆるテクノロジーとメディアが本来的に志向している仮想現実性と、そもそも人間にとってリアリティーとはなにかということを考えてきた。

 不気味の谷やチャーチルにまつわる逸話、ジェリコーの絵、森敦のリアリズム1.25倍論を散見したとき、私たちは果たしてリアリティーとはなんだろうかという疑問を抱かざるを得ない。

 おそらくVRの方向性にも2つのベクトルがあって、医療技術などに応用されるリアルな知覚を寸分違わぬ精度で再現する仮想現実と、エンターテインメントの世界における現実よりも心地よい仮想現実の構築に分化していくのだろう。

 VRの普及と浸透は私たちにリアリティーの再考を迫る大きな契機となる。「リアルであること」は決して現実をそのまま再現することとは限らない。リアリティーの追求は実は人間の創造領域でもあるのだ。


著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors’ Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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