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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第8回

後編 ~レコードの功罪と音楽にまつわるあいまいな値段~

なぜ音楽は売れない――その本質と「お布施」による打開策

2016年01月05日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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音楽を含めたすべての情報産業が持っている値段は無根拠

 音楽に限らず、情報というものに付与される価格は突き詰めると総じて根拠のないものである。

 原材料費や製造費、人件費、輸送費、中間業者のマージンなど、ある程度は定価の根拠となる原価を算出することはできるだろう。しかし、本を例にして言えば、600ページ以上の本が3800円だったり、200ページに満たない本が2000円だったり、高いわりには内容がなかったり、安いにも関わらず大きな感銘を享受できたり、実にいい加減といえばいい加減なのである。

 洋服にしても著名なブランドの製品であるというだけで同等の生地、同等の縫製の服が5倍10倍の値段になったりする。つまりこれは、根拠のない情報の値段としか説明ができない。

 音楽という情報も産業社会の中で商品となった途端にこうした問題を露呈する。AというアーティストのライブはS席が1万5000円なのに、Bというアーティストのライブは全席3000円均一だったり、ということは往々にしてある。では、感動が5倍だったかどうか、これを正確に判定することはできない。

 音楽がおもしろいのはその逆のパターンもあって、レコードやCD、ダウンロード販売に関してはどんなアーティストでもだいたい価格が均一であり、CDの新譜ならば3000円前後、ダウンロード販売であれば一曲250円程度が一般的な値付けとなっている。これもよくよく考えれてみればなんだかおかしな話である。本当に敬愛するアーティストの活動を支援したいのであれば、決められた値段より多くの額を支払ってもいいのではないか?

 音楽という情報に対する返礼および報酬は大道芸や門付芸、現代の言葉で言えばストリートでのパフォーマンスにおける投げ銭的なランダムな要素を多分に含有している。下限も上限も設定されていない。それを決定するのは聴衆である。つまり、音楽への対価の根本にはどこかでお布施的な側面があって、女性アイドルグループの信者たちはCDがたくさんほしいから50枚も100枚も購入するわけではない(まぁ、握手券などがほしかったりするのだろうが)。CD1枚が同じ値段でしか買えないからたくさん購入するしかないのである。

 このお布施的な情報ビジネスの無根拠性を生態学者であり民俗学者であった梅棹 忠夫氏は、名著「情報の文明学」の中でこう説明している。

Image from Amazon.co.jp
生態学者であり民俗学者の梅棹 忠夫氏による「情報の文明学」(中公文庫)。アルビン・トフラーの「第三の波」に20年近くさきがけるかたちで情報産業時代の到来を予言し、その背後に隠されたイメージの虚構性を看破した。「お布施の理論」は1962年発表の「情報産業論」の中で言及されている

“お布施の額を決定する要因は、ふたつあるとおもう。ひとつは、坊さんの格である。えらい坊さんに対しては、たくさんだすのがふつうである。もうひとつは、檀家の格である。格式のたかい家、あるいは金もちは、けちな額のお布施をだしたのでは、かっこうがつかない。お布施の額は、そのふたつの人間の社会的位置によってきまるのであって、坊さんが提供する情報や労働には無関係である。まして、お経の経済効果などできまるのではけっしてない。”

 あくまでも私見だが、音楽を産業として成立させ続けるためのひとつのヒントは、この「お布施の原理」を応用/導入するしかないのではないかと思っている。


(次ページでは、『販売されているのはあくまでも音楽の「ほんの一部」に過ぎない』)

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