次世代のがん治療を変える医療用ゲノム解析技術の現在
株式会社テンクー 代表取締役社長 西村 邦裕氏 インタビュー
この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」(外部リンクhttps://ipbase.go.jp/)に掲載されている記事の転載です。
株式会社テンクーは、医療機関向けにゲノム医療のためのトータルソリューションソフトウェア「Chrovis」を提供している会社だ。同社はゲノム解析と情報検索に関する特許で2件を取得済み。国内の臨床現場でのサービスの実施から、海外進出や大企業との提携へとビジネスを広げていくなか、目に見えないソフトウェアの知財をどのように守り、活用していくのか。同社の知財戦略について代表取締役社長の西村氏に伺った。
がん医療の現場をゲノム解析・データベース・レポートで支援
株式会社テンクーは、がんゲノム医療のためのトータルソリューションソフトウェア「Chrovis」(クロビス)を開発する2011年4月創業の東大発ベンチャー。Chrovisは、がん患者のゲノム情報を解析する「Chrovis Analysis」、世界中の薬や治験情報を集めた知識データベース「Chrovis Database」、解析結果に基づくレポートを作成する「Chrovis Report」の3つのソフトウェアで構成される。2012年から開発を始め、2017年から臨床研究を実施、2018年に保険診療との併用(混合診療)が認められる「先進医療B」に採用され、現在は、医療機関や研究施設向けにChrovisのライセンス販売と、病院等から患者のデータを預かりChrovisで解析を行い補助資料としてのレポートを作成するサービスの2つの事業を展開している。
西村氏がゲノム情報の研究を始めたのは学部生の2000年頃からで、以来20年間DNAマイクロアレイや次世代シークエンサのデータ解析の研究や開発を続け、その成果が現在の事業に繋がっている。当初は、VR技術を使ってゲノムの情報を可視化する方法を研究していたそうだ。
「膨大なゲノム情報をうまく整理・解析し、結果をわかりやすく人に伝えて、医療などにおける判断の支援をするためにはVR技術が役に立ちます。当時はまだゲノム解析分野は注目されていませんでしたが、2012年頃からゲノム医療が実用化されるだろうと予想し、準備を進めてきました」(西村氏)
ヒト一人のゲノム情報は約30億(3.0×10の9乗)塩基対という膨大な量があり、解析には高い処理性能が必要だ。医療として実用化するには、定常的に1万、10万人規模のデータを解析しなくてはならない。当然、品質や信頼性も厳格に求められる。研究室レベルではなく、医療現場で安全に使えるシステムを作ろうと考えたのがChrovis開発のきっかけだ。結果、数十・数百コアから構成される大規模なインフラストラクチャにスケールするよう設計されている。
臨床現場に届けるための機能、使い勝手を重視
Chrovisは、自動化と臨床現場のニーズに応えることの2点を重視して開発されている。
「自動化は、人が介在することによるミスを防ぐために重要です。また、実際の臨床現場では、先生が1人の患者さんに対して調べられる時間は有限です。世界中にある薬や治療が患者さんに合う候補かを効率よく見つけ出し、患者さんの診断や治療の選択肢として示せるのかが大事だと考えています」(西村氏)
「Chrovis Analysis」での解析技術や精度などに注目しがちだが、実際の現場に届けるには、「Chrovis Database」での薬剤や治療情報の網羅性、それを患者にまでわかりやすく伝える「Chrovis Report」の機能が重要だという。
初期のChrovisは、ゲノム解析を可視化するゲノムブラウザーを作成したが、臨床現場の先生方からはゲノムの状態を見るよりも、すぐに医療判断に使える形にしてほしいとの意見が多かったことから、現場で運用しやすい現在のレポート形式に開発の重点を置いた経緯がある。
また2013年に日本人類遺伝学会で初めてブース出展した際は、ゲノムデータをアップロードすると解析結果がわかるクラウドサービスとしてChrovisを紹介。しかし当時は、個人情報をクラウドに上げることに敷居が高く、医療関係者にはまったく受け入れられなかったそうだ。当時、もともとクラウドで動いていたサービスをオンプレミスに落とし込むという変更を一時的に行なっている。
2017年からは臨床現場での運用が始まり、実際のがん患者のデータを扱うことで見えてきたこともあるという。
「研究データとは異なり、がんの患者さんは予想していた以上に遺伝子バリアント(変異)が複雑でした。例えば、移植を受けている方は自分のものではない遺伝情報が含まれています。すると、実験で間違えたのか、もともと体内にあったものかを判別できないケースが発生します。この先、遺伝子データがさらに蓄積されていけば、民族によるがんの遺伝子バリアントの違いや、がんの多様性が見えてくるでしょう。そして、特定遺伝子バリアントを持つのがん患者さんに効果のある薬や治療法が分類できるようになれば、複数の選択肢から、効果・費用・副作用の面で患者さんが自分に合った治療法を選べるようになるのではないでしょうか」
権利侵害をしない、させないための特許戦略
テンクーでは、一部の技術は特許化、Chrovisのデータ変換機能など一部のツールはオープンソース化してGitHubなどに公開、コアのノウハウは社内で秘匿する、と3パターンに分けた知財戦略をとっている。
特許については、2016年にゲノム可視化とデータの持ち方に関する特許を出願し、3年後の2019年に取得。2018年には、論文や薬剤情報で使用されている略語や、略語同士の組み合わせ、他言語での表現なども網羅して検索できる「パラフレーズ検索」に関する特許を出願し、スーパー早期審査制度を利用して審査請求から3ヵ月後で特許化している。
海外展開をにらみPCT国際出願もしており、米国では特許が成立済みで、韓国・中国・欧州でも審査中。外国出願は翻訳費用などを含めると数百万円かかるため、特許庁の減免制度と東京都の外国特許出願費用助成事業などを活用したそうだ。米国と欧州、ASEAN地域への進出を目指し、現在はジェトロ・イノベーション・プログラム(JIP)に採択され、タイのプログラムに参加している。
特許の権利範囲で留意した点は、データの持ち方だけでなく、あえて可視化の要素を含めることで侵害されたときに検知しやすいようにしていること。上述したパラフレーズ特許についても表示部分に関する具体的な項目が含まれているそうだ。
遺伝子に関連した特許は、欧米企業が多くを取得しているため、テンクーのゲノム解析が特許侵害にあたる可能性はないのだろうか。
「ゲノム医療の知財については、2018年度の特許庁の『ゲノム医療分野における知財戦略の策定に向けた知財の保護と利用の在り方に関する調査研究』の委員としても活動させて頂き、知財の動向には注目しています。この調査でも遺伝子に関連した特許や他国の状況を調べました。テンクーは知的財産を大事に考えており、特許出願も含めて、自社の権利をしっかり守ろうとしております。また、他社の権利も尊重いたします。」(西村氏)
遺伝子特許は数百件あり、上記特許庁の調査研究でもすべてを調査しきれているわけではなく、今後どのように扱っていくのかは課題だ。また、医療関連ということで、厳しい各種要件を満たさなければならないが、西村氏は、在学時に所属していた東京大学先端科学技術研究センターにおいて、知的財産法分野の研究室と同じ建物だったこともあり、学生の頃から知財は身近なものだったようだ。
「特許や商標は、内容によって、3~4名の専門家の先生に依頼しています。2016年の特許は、大学の同級生の情報系出身の弁理士に依頼しました。ほかにも研究に強い先生、AIに強い先生にお願いしています。特に、現在は医療よりも情報に強い先生を探すことが多いです。良い知財にするには、専門家とのコミュニケーションが重要です。技術のバックグラウンドを十分に理解していただいてからでないと、発明の項目や実施例が適切なものにならないので、社内でもChrovisの概要説明など相当なボリュームの説明資料を用意しています」
現在は医療機関や検査会社へのライセンス販売が中心だが、強固な知財を背景に近頃は大企業との提携を進めているという。「大企業との提携では、知財や情報の管理に気を付けることが大事です。まず、社内の情報管理を厳重にし、社外に出していい情報と秘匿するものをきちんと分けて整理すること。契約書も弁護士にチェックしてもらい、納得がいくまでしっかり交渉するようにしています。時間や費用はかかりますが、目先の利益にとらわれず、権利はしっかりと守るべきです」と西村氏。
最後に、創業期スタートアップの知財戦略におけるアドバイスを聞いた。
「知財は、技術の証明にも独自性の証明にもなりますし、会社の評価にも影響します。また何か侵害訴訟があったときにクロスライセンスで守れる可能性もあります。Chrovisは、サービスを始めた2018年に、パラフレーズ検索の出願と日本メディカルAI学会の最優秀賞の受賞が重なり、いいプロモーションにもなりました。スーパー早期出願制度や減免制度などの仕組みをうまく活用してほしいですね」