トヨタの特許無償開放を通じて考える「コントロール権」としての特許
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自社が保有する23,000件以上の特許を無償開放したトヨタ
2019年4月、トヨタ自動車が車両電動化技術(電気自動車に関連する技術)について、「自社が単独で保有する特許約23,740件の実施権を2030年末まで無償で提供する(他社も使えるようにする)」ことを発表しました。
今回はトヨタ等の特許無償開放の事例を通じて「独占権ではなく、コントロール権としての特許」について考えていきたいと思います。
トヨタの狙いは「電動車の普及」=市場形成
前述のプレスリリースで、トヨタの取締役・副社長の寺師氏は次のように語っています。
電動車普及の必要性を感じておられる多くの企業から、トヨタの車両電動化システムについて、お問い合わせをいただくようになりました。今こそ協調して取り組む時だ、と思いました。特にこれからの10年で一気に普及が加速すれば、電動車が普通の車になっていくでしょう。そのお手伝いをさせていただきたいと考えました。
https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/27511695.htmlより引用
プレスリリース内では、特許の無償開放に加えて「車両電動化システム全体のチューニングに関するアドバイス」など技術サポートも合わせて行うことが発表されています。
自社がこれまで蓄積してきた電気自動車の技術を他社に積極的に共有することで、業界全体で電気自動車の普及を目指すという強い意思が感じられます。
特許実施権の無償提供を受けるには個別で契約が必要
ここで1つ整理したいのが、「トヨタは電気自動車に関する特許を放棄したわけではない」ということです。特許を保有し続けたまま(特許は保有しているだけで継続的に費用がかかります)、他社にその実施権を無償で提供する、としています。
なぜ費用がかかる特許を保有し続けたまま無償提供を行うのか。プレスリリースに書かれた下記記載からそのヒントを読み解くことができます。
トヨタにお申し込みをいただき、具体的な実施条件等について協議の上で契約を締結
https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/27511695.htmlより引用
つまり、単に無償で特許を開放するのではなく、契約の締結を必要とすることで、電動車の市場を成長させながら積極的に業界他社とアライアンスを組むことを推し進めることができます。
また、契約の詳細に関しては公開されていないので推測の話になりますが、特許技術の利用状況の報告などの条項を設けることで、「電気自動車市場を各社と協力しながら作り上げ、それと同時に各社の技術力・販売力などを把握する」ことも可能です。
プレスリリースでは「特許実施権の無償提供は2030年末まで」としているので、そのタイミングで優良なビジネスパートナーを選抜し、それ以降は適切なライセンス料を受け取りながらビジネスを行っていく可能性もあります。
特許を保有したまま無償で開放することで、「多数のプレイヤーとアライアンスを組みながら市場を立ち上げ」、「市場がある程度立ち上がった後は、参加するプレイヤーを選抜して自社に有利な市場を形成する」といった事業フェーズに応じた戦略を組むことができます。
トヨタによる電動化技術の特許無償提供は、特許が持つ「独占権(他社を排除する権利)」を背景として、独占ではなく特定条件でのオープン化を選ぶことで、市場自体を自社にとって理想的な状態へとコントロールする「コントロール権」として特許を活用していると言えるでしょう。
個別契約なしに特許を無償開放するダイキン
ここからは、特許で事業の独占ではなく市場の「コントロール」を行っている(行おうとしている)トヨタ以外の事例をいくつか紹介します。
空調事業で世界トップシェアを誇るダイキン工業は、冷媒HFC-32関連機器に関する特許の無償開放を2019年7月に発表しました。
今回、2011年以降に申請した特許を無償開放することで、さらにHFC-32空調機の普及を促進したいと考えています。今回の誓約の対象となる特許を使用するためには、当社の事前許可も契約も必要ありません。これらの複雑な手続きを不要とすることで、より早く、容易に対象特許を使用できるようになります。
https://www.daikin.co.jp/patent/r32/より引用
トヨタの無償開放とは異なり「事前許可も契約も不要」を明言していることが特徴的です。
ダイキンは2011年にHFC32の基本的な特許を無償開放していましたが、その際は個別に交渉・契約を締結する形で、利用者側としては気軽に利用できるものではありませんでした。
今回はその反省を活かし、利用者にとってわかりやすく不安を解消するような誓約書を合わせて公開することでユーザーフレンドリーを徹底し、協賛企業をより広く集めることを重視していると考えられます。
参考:ダイキンによるHFC-32関連機器に関する特許権不行使の誓約(誓約文)
https://www.daikin.co.jp/patent/r32/pledge/
QRコードを無償開放してリーダーで儲けるデンソー
「~~ペイ」などモバイル決済で注目が集まっているQRコード。この技術はデンソーの開発部門が開発(現在はデンソーウェーブとして分離)したものですが……
・QRコード自体の仕様は特許を取得したうえで、規格化、標準化(無償開放)
・QRコードの読み取り機(リーダー)に関する特許を保有して自社で事業展開
を行っています。
このケースは、「QRコードの仕様を無償開放することで市場を形成し、市場で必要になる『QRリーダー』の販売で売上を稼ぐ」という、特許による市場コントロール戦略の1つ「オープン・クローズ戦略」が成功した事例となります。
クラウド事業にパッケージ化されたマイクロソフトの特許群
最後に、マイクロソフトの特許を活用した事業戦略を紹介します。
マイクロソフトが展開するクラウドサービス「Azure」では、同サービスを導入する企業に向けて「Azure IP Advantage」という制度を提供しています。
Microsoft Azure IP Advantage Protecting Innovation in the Microsoft Cloud from Ascent Technology on Vimeo.
この制度は「一定の条件を満たしたAzure利用者が特許訴訟でリスクを背負ったときには、マイクロソフトがサポートする」というものですが、サポートの1つに「Azure利用者が他社から特許訴訟で訴えられた場合に、相手が嫌がる特許を一時的にマイクロソフトから貸与して、訴訟を優位に進めることができるようにする」というものがあります。
クラウド技術に関する特許を取得してクラウド事業の競合(AmazonのAWSなど)との差別化を図るだけではなく、「Azureを利用する多様なクライアントの事業を成長させるために自社の特許を提供する(その結果、Azure事業の利益が増える)」という特許の活用方法となります。
特許権は「事業環境のコントロール」に柔軟に使える有用なツールである
一般的に、特許は「他社を排除する権利(独占権)」であるとされます。
しかし、これまで見てきた事例のように、特許を使って独占をするのか、特定の企業にライセンスをするのか、特定の範囲でオープンにしてしまうのかは、権利者の自由です。 先に自社で特許を取得してそれを開放することで、特定の市場を成長させることも、組みたい相手とアライアンスを組むことも、自社製品のマーケティングに使うこともでき、事業環境をコントロールできます。
特許を独占権ではなく、独占することも開放することもできる、市場や事業環境のコントロール権と捉え直すことで、知財戦略はより多様化し、事業の成長により貢献することができると筆者は考えています。
著者紹介:IPTech特許業務法人
2018年設立。IT系/スタートアップに特化した新しい特許事務所。
(執筆:代表弁理士安高史朗)