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『角川インターネット講座』(全15巻)応援企画第12回

田中浩也准教授(慶應大学SFCソーシャルファブリケーションラボ代表)、青木俊介氏(ユカイ工学CEO)が語る

Makerムーブメント最前線~これまでの10年とこれからの10年

2015年12月19日 18時00分更新

文● 二瓶朗 編集●村山剛史/ASCII.jp

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キーワードは「2005年」

遠藤 青木さんがそういった物理的なモノに興味をお持ちなのは、元々そういうバックグラウンドがあるから? モノを使ってライフスタイルを変えようとしている青木さんのコンセプトの元になったことを、いま現在やっているのが田中さんのような気がするんです。

田中 僕は元々ソフトウェアの人間で、20年ほど前に提出した卒業論文では建築用の3次元設計ソフトウェアを開発しました。いまでいう3D-CADです。博士課程では、撮った写真から3次元を再構成するような、今でいう「Googleストリートビュー」みたいなソフトウェアを作っていました。広域3Dスキャン技術ですね。そんなわけで、ずっとソフトウェア中心だったのですが、2005年ぐらいからモノの世界に行ったほうがいいんじゃないか? と思ったんです。

 ちょうどその年から、SFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)で教鞭をとることになったというのもあって、心機一転、自分で電子工作を勉強し始めました。ほとんどできないのに、授業で電子工作のコマを引き受けることにして自分を追い込み、前の日の晩に一生懸命勉強したりして(笑)。そういえば2005年って「Arduino」が出始めの頃ですよね。

遠藤 パソコンと電子工作がつながり始めた頃ですね。「Make:」が始まったのも2005年かな? 2005年頃だと、青木さんは何をされていたんですか?

遠藤諭……角川アスキー総合研究所 取締役主席研究員。月刊アスキー編集長、アスキー取締役などを経て、2008年にアスキー総合研究所 所長に就任。2013年より現職

青木 僕はチームラボで、サーチエンジンの開発をしていました。2000年ぐらいから始めて5~6年目でしょうか。規模だとグーグルに敵わないので、面白さで勝とうと「オモロ検索エンジン」というものを作ってました。

 開発でずっと真っ黒い画面を見てコマンド打っていると、画面に閉じ込められているような気がして、どんどんフラストレーションが溜まっていったんです。それで「画面の外に出られるモノ」がすごく作りたくなって、元々興味のあったロボットを作ったら面白いかな、と(笑)。

 2005年って、ロボットベンチャーもたくさん生まれた時期なんですよね。

遠藤 ユカイ工学をつくったのは何年ですか?

青木 法人を作ったのは2007年ですが、ちゃんと独立したのは2011年です。それまではpixivの開発に携わっていました。

遠藤 ピクシブさんにはその時期に取材に伺いました。会社にサーバーがすごい状態で置いてあって(笑)。2005年ぐらいだと、日本でケータイが熟してきて、GREEやmixiなんかが創業した頃ですね。ブロードバンドも普及していろいろなデバイスが面白くなってきた。

 もしかしたら2005年ってITの歴史的に結構重要なタイミングかもしれませんね。それからあっという間に10年が経ち、お二方とも元々はソフトウェアの人だったのに、ハードのほうに来たというわけですね。田中さんは青木さんみたいなロボットの方向ではありませんが、電子工作の話から現在にどうつながるんですか?

田中 電子工作はまぁ最低限という感じでスキルとして身につけただけなのですが、もともと建築の3次元設計ソフト(3D-CAD)を作っていたので、建築の建設にも興味があったんです。それで、少しだけ建築事務所で働かせてもらったりもしていました。でも建築はデジタル設計から先がまどろっこしいという現実もあって……。CADで3次元で図面を作るのに、その後、わざわざ平面図にして紙の図面にして工事担当者に渡して……。現場は完全アナログですね。

 設計はデジタルなのに、作る工程がものすごくアナログで、つながっておらず、とても歯がゆかった。それで実は東京に出てきた2000年ぐらいから、いずれは3Dプリンターで、デジタル設計から製造をまでをつなげて、建物を建てたいな、と思っていたんです。ただそれができる状況をつかむまでに時間がかかりました。

遠藤 その頃3Dプリンターってありました?

田中 それがあったんです。まだ3Dプリンターという名前ではなく「RP(ラピッドプロトタイピング)」と呼ばれていましたが。実はそのために東京大学に進学したという理由も半分くらいあった。数千万円ぐらいする物凄いのが学校に。ただ、残念ながら使える状況ではなかったのです。実際メンテナンスもされておらず、管理者も不在でした。

 その後、2005年からオープンソースの3Dプリンターが出始めます。これが初期のRepRapです。それを僕はたぶん日本で初めて手に入れて自宅で使い始めたと思うんですね。2009年に3Dプリンターの特許が切れてからの展開はみなさんご存知の通りです。

遠藤 語弊があるかもしれないけど、要はそこで3Dプリンターという良い「ネタ」に出会ったということですね。しかもさっきからキーワードになってる「2005年」というタイミングで。

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(次ページでは、「進化しないロボットがコミュニケーションに特化する」)

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