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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第50回

ニコ動に住むギターの神様、その名は[TEST]

2011年03月05日 12時00分更新

文● 四本淑三

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行きたい大学がなかったからバークリー

―― それ以外は何をコピーしました?

[TEST] 高校を卒業すると同時にフュージョンですね。T-SQUAREやカシオペアのようなジャパニーズフュージョンに始まり、ラリー・カールトンやリー・リトナーのようなアメリカのフュージョンに傾いて。フュージョンはいろんな音楽の要素が入っているので、ボサノバやサンバ、ワールドミュージック、そしてだんだんジャズの世界に入っていくんですね。

フュージョンからワールド、そしてジャズに向かったという

―― そこら辺からバークリーが視野に入ってくるわけですね。高校から留学の間はどうしていました?

[TEST] 日本の大学へ行くつもりだったんです。もともと高校も大学が付いているし、そのままエスカレーターで上がればいいやと考えて選んだんですが、僕は好きなことしかできないし、他のことはサボっちゃうので。それで真剣にガイダンスも受けて、どこの学部に入りたいかを考えた結果、「ない」という結論に。

―― うん、正しい。

[TEST] このまま入ってもすぐに辞めちゃうなと思ったんですね。じゃあ自分の勉強したいことをすればいいじゃないか、と。そして専門学校に一年間行って。僕は実家が大阪なんですけど、大阪芸大の子たちとバンドをやったりして、その関係で音楽の仕事をしていたんですね。バックバンドに入ったりとか。ただ、大阪の中にいると、ある程度みんな顔見知りになってきちゃうんです。別のジャズの現場に行くと「またお前か!」みたいな。

―― じゃあ当時から地元では有名だったんですね。それではあかんと。

[TEST] 僕は正直言ってジャズだけをやりたいわけじゃない。他の音楽も沢山やりたい。じゃあ一回外に出て勉強してみようということになったんですね。行くことによって何か変わることもあるはずだし。

―― 結果どうでした?

[TEST] 音楽的知識が深くなったのはもちろんなんですが、世界の人々ってこんな考え方をしているんだなと。自分のやりたいことが固まってくると、他のことを認められなくる人っていると思うんです。でも、そういうことはなくなりました。この人のこういうところは嫌いかもしれないけど、それも含めて存在しているという事実を受け入れた上でどう付き合って行こうかと。だから一番良かったのは人格形成かもしれないですね。

(次のページに続く)

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