「有名になるもんじゃないですね」
―― サイトの反響についてお聞きします。ブレイクしたのはいつごろでしたか?
坂木 2002~2003年頃ですね。それまでは、病院の公式サイト時代も含めて全然アクセスがなかったんです。せっかく書いてるのにそれじゃつまらないからと「ReadMe! JAPAN」に登録したり、一時期は積極的に宣伝しましたね。やはり人気サイトになりたいという気持ちもありまして。その甲斐があって、数ヵ月経った頃からリンクしてくれるサイトがぽちぽち出てきて、メールをもらうことも多くなりました。
―― 実際に人気サイトになってみて、どうでしたか?
坂木 うーん……。まあ、たいして面白いものでもないなと(笑)。多少は知られるようになって記事に対する反響も大きくなったんですが、そのなかでアドバイスをくれたり応援してくれたりする声が7割くらい。残り3割は、もう罵詈雑言なんですね。
ずっと匿名で医療関係や患者さんの話を書いたりしたわけですけど、そこを「匿名で患者のプライバシーに関わることを書くんじゃねえ」と言われたりました。ただ、そこは一番気を遣っているところなんですけど、患者さんの症例やエピソードを書く場合は、2~3人の患者さんの話をパターン化して個人と結びつかないようにしつつ、現場のリアリティも出るように工夫しているつもりなんです。
でも、そういう苦労なんて伝わらないから、ものすごい勢いで罵倒してくる人が出てくると。まあサイトをやっていて、そういう不愉快さが増えてしまったというわけです。
―― 色々なサイトをみていると、そうなったときに閉鎖を選ぶ人も多いですね。
坂木 でしょうね。私も「有名になるもんじゃないな」と思いましたし(笑)。それでRaedMe! JAPANの登録はすぐ外しました。人気サイトなんて目指さずに、もっと地道にやっていれば良かったなんて今でも思います。
ただ、それでサイトを閉鎖とはなりませんでした。何でしょう。当時は自分にとって、ほかに楽しいモノがなかったということですかね。それと同時に、自分に対する意地で毎日更新を続けようと決意したことも大きかったです。それで2005年頃までは、どんな短い文章でもとにかく更新していました。毎日何かしら書いて、しばらく後にそこから膨らみそうなネタを選んで。色々な情報を混ぜ込みながら長文にしていくという感じで。
―― 不愉快さに対抗しうる良いこともありましたか?
坂木 やっぱり、読者から感謝のコメントやメールをもらったときは嬉しいですね。応援やアドバイスを送ってくれる読者にも、ちょっと見当違いというか、真意が伝わってないかなと思うものも多いんです。でも、その中から本当に実のある指摘や、私の記事からの考察などをもらったときは良かったなと思います。あと、自分なりに良い記事が書けたかなと思うときも、充実感がありますね。
この連載の記事
-
最終回
トピックス
アンサイクロペディア“中の人”が語る、ユーモアの難しさ -
第99回
トピックス
マスコミが報じない“カルト”を記事に 「やや日刊カルト新聞」 -
第98回
トピックス
「もし森ガールが森へ入ったら」アサイさんの超地道な努力 -
第97回
トピックス
死刑は必要? 冷静に考えるためのWeb資料室「刑部」 -
第96回
トピックス
NTT研究者が“錯覚”サイトにかける純粋な感情 -
第95回
トピックス
ネットの「熱さ」、現代アートに――藤城嘘とカオス*ラウンジ -
第94回
トピックス
諸君!革命的美人ブロガー安全ちゃんに刮目せよ! -
第93回
トピックス
探検コムの「広く浅く」が深すぎる! -
第92回
トピックス
金髪ギャル語でニュートリノ、Shoさまが熱い! -
第91回
トピックス
「計画断水」知ってる? ネットで日本の昭和を振り返る -
第90回
トピックス
電子書籍を紙で売る! 「コトリコ」挑戦への道 - この連載の一覧へ