発表。そのとき社内は?
大坪社長自らが、社名変更を発表したのは、2008年1月10日のことだ。
1月10日は、松下幸之助氏の時代から続く、経営方針発表の日であり、同社にとっては、まさに元日ともいえる日である。
会場となった大阪・枚方の人材開発センター枚方研修所には、午前中から役員が集まり、その場で、パナソニックへの社名変更が伝えられ、その後、国内221会場、海外13会場を結んだグループ社員に向けたメッセージのなかで、社名変更が社員にも伝えられた。
例年ならば、この会場に役員全員が集まることはない。それだけに、今年だけ、なぜ役員を召集するのかといった理由づけに担当部門は苦労したようだ。いずれにしろ、役員の召集内容は、社名変更という明確なものではなく、すべての役員が、事前に社名変更を知っていたわけではなかった。
社外に公式に発表されたのは、午後4時45分から行われた記者会見の場であった。
大坪社長は、2008年度の事業方針および中期経営計画GP3の重点項目を淡々と説明したあとで、一切、口調を変えることなく次のように切り出した。
「次代の成長に向け、強いブランド力をグローバルに築くという観点から、このたび、会社名を松下電器からパナソニックに変更する。ブランドについても、国内、海外ともにすべてパナソニックに統一する。社名の変更は6月下旬の株主総会での承認を経て、本年10月1日、グループ一斉に実施する予定であり、ブランドについて、社名変更と同時に切り替えに着手し、2009年度をめどに、流通や商品戦略面での環境が整い次第、統一する。社名変更、ブランド統一が目指すところは、パナソニックというひとつの名前、ひとつのブランドのもとで、グループがさらに強く結束すること、パナソニックブランドの価値を向上させることにある」
そして、大坪社長は、「松下の名前、ナショナルのブランドを手放すことは大きな決断である。手放す以上の価値を、これから強く生み出していく責任がある」と、まるで自分に言い聞かせるように、言葉を続けた。
「緊張感や責任感で埋め尽くされていたものが、社名変更の日が近づくに連れ、高揚感へと変わりつつある」――。
今年8月、筆者の質問に対して、大坪文雄社長は、社名変更直前の気持ちをこう表現した。
1月の発表から、6月の株主総会での承認を経て、夏前からはパナソニックブランドの家電製品を投入。すでに「哀愁」、「ノスタルジー」という想いは消えていた。
「個人のノスタルジーに浸るよりも、これから松下が大きく発展するには、より成長する可能性のあるこのブランドに全員の想いを結集させたい。パナソニックというひとつのブランドに向けて、社員が一丸となって取り組み、その想いが、商品として結実することになる。これこそが松下の発展につながる決断である」
この半年の間、大坪社長は、なんどもこの言葉を繰り返した。
次ページ「動き出した極秘プロジェクト」に続く
この連載の記事
-
最終回
ビジネス
パナソニック――大坪社長が語る“今”とこれから -
第21回
ビジネス
GP3最終年度に突入。パナソニックが挑む試練 -
第20回
ビジネス
パナソニックを支える技術「UniPhier(ユニフィエ)」 -
第19回
ビジネス
パナソニックが技術で魅せる「総合力」 -
第18回
ビジネス
パナソニックの3つのエコアイディア戦略とは -
第17回
ビジネス
パナソニックが中期経営計画に環境経営を盛り込む理由 -
第16回
ビジネス
パナソニックが抱えるグローバル戦略の課題とは -
第15回
ビジネス
北米市場で構造改革の成果が試されるパナソニック -
第14回
ビジネス
欧州市場から世界を狙うパナソニックの白物家電事業 -
第13回
ビジネス
中国でのパナソニックの成長を下支えする中国生活研究センターとは -
第12回
ビジネス
EM-WINで新興国市場を攻略するパナソニック - この連載の一覧へ