どんな仕事も逃げずにやりきれば、人とは違ったスキルが身につく
―――少し話が戻りますが、どうして最初にコンサルティングという仕事を選んだのですか?
森:大学の進学は、理系で経営工学、文系で経済学部のどちらかで迷ったのですが、経済学部を選択しました。国際金融のゼミに入ったので、国際的なものに対する意識が芽生え、就職は「外資系」で、中学のときから興味があったシステム的なものを扱える職業と考え、コンサルティングという仕事を意識するようになったのを覚えています。また、当時はインターネットが普及し始めた時期で、コンピュータ・テクノロジーの可能性に気がつきました。そのよう中、たまたまゼミの先輩に外資系コンサルティング会社の人がいて、就職を決めたのです。
―――コンサルティング会社では、最初どういう仕事だったのですか?
森:インフラコンサルとか研究所の仕事は最後の3年ぐらいで、最初はプログラマーをしています。基幹系のプログラミングを1998~2000年ぐらいまでやりました。その他は、夜間バッチ(基幹系システムで夜の間に定例的な処理を行なうこと)などの運用の仕事です。
2000年からは、某公共機関の検索システムのアーキテクチャ設計でプロトタイプ開発を行ないました。このシステムは大規模なもので、プロトタイプもきちんと動くものを作る必要がありました。短期間でそんなものができるのかと思っていましたが、運よく、配属された新卒のメンバー10数人がコーディングがきちんとできる人たちでしたので、当時できたエクストリームプログラミングなどを取り入れて、システムを開発したのを覚えています。
当時は、J2EE(Java 2 Enterprise Edition)やXMLも出たばかりであまり安定していなくて、エクストリームプログラミングのソフトウェア開発手法も日本語版の書籍が出たかどうかの頃です。この経験を通して、積極的に新しいものを取り入れて体験してみることの重要性を認識しました。これは、その後のインフラコンサルティングの日本への導入とか、研究所の仕事につながっていくことになりますね。
その後、某プロジェクトの運用チームのリーダーを命ぜられました。運用は、トラブルの多い現場で、怒鳴られることも少なくありませんでした。自分でも「よく耐えたな」と思います。でも、このとき、世の中にはやらなければならない仕事があって、仕事になった以上、やらなければならない。どんな仕事も逃げずにやりきれば、人とは違ったスキルが身につくということを学びました。それからはきた仕事は拒まずにやるというポリシーを持つようになりましたね。
次回、楽天技術研究所のビジョン「サード・リアリティ」ついてのインタビューへ続く。(5月1日木曜日掲載予定)
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