URBANOや石鹸で洗えるスマホなど、数々の名機を生み出してきた京セラ。日本では一定の成功を収めた同社も、グローバル市場では長年苦戦が続いていました。
しかし、現在は自社の強みを生かした製品展開を行なうことで、アメリカ市場を中心に存在感ある日本メーカーとして奮闘しています。そんな京セラの海外での成功の歴史を振り返ってみましょう。
スマホの前進「PDA」時代の覇権を争っていたが……
京セラの海外進出は、日本でも製品を展開していたCDMA方式の携帯電話を主力としてきました。いまから10年以上前の2G時代、北米や韓国を除く海外で主力の通信方式はGSMでした。
そのため、京セラは同じCDMAを採用する北米市場にフォーカスした戦略を取ってきたのです。SIMを使わないCDMA方式の端末はキャリア販売であることから、日本と同じビジネス展開が取れる点も京セラにとっては強みでした。
しかし、それでも市場拡大のためにはGSM端末の販売も必要です。2000年にはストレート型のGSM携帯電話「TG200」をアジアなどで販売するものの売れ行きはあまり思わしくなかったようです。その後GSM方式の携帯電話は数機種を出すにとどまり、北米向けのCDMA端末に特化して製品を地道に投入していったのです。
その北米市場で京セラは、かなり古い時代にスマホと言える存在の製品を投入しました。2001年2月発売の「Kyocera QCP-6035」です。OSはいまとなっては懐かしいPalm OS。通信方式はもちろんCDMA。本体サイズは142(H)×64(W)×22(D)ミリ、重量は208グラムありますが、片手でも十分持てる大きさです。
ディスプレーは160×160ドットのモノクロでメモリーは8MB。フリップ式のカバーには10キーが搭載され、閉じればそのまま電話をかけることができました。ほかにはSMSにも対応、WAP、ブラウザー、メーラーを使ってインターネットアクセスが可能と言う、画期的な製品だったのです。
このQCP-6035はその後大幅に機能を向上させた「Kyocera 7135」に進化。2002年6月に発表された同モデルはディスプレーがカラー表示に、メモリー容量も16GBにアップ。そして、SDカードスロットも搭載。本体形状は折り畳み式となり、10キー側に手書きパッドを搭載することで全体の長さを押さえました。
このころはまだPalm OSにも力があり、ソニーが同じ折り畳みスタイルの「PEG-NR70」を発売するなど、スマホの前身であるPDA(Personal Digital Assistant)時代の覇権をSymbian、Windows Mobile(Pocket PC)と争っている時代でした。
日本でもシャープから横型QWERTYキーボード搭載の「SL-C700」が登場するなど、iPhoneもAndroidも無い時代から、スマートデバイスの市場は激しい争いを繰り広げていたのです。
PCとシンクロしてデータを持ち出すPDAから、単体でネットにアクセスできるスマートデバイスへとPalm OS端末が進化を遂げようとしていた時代、Kyocera 7135はPalmにとっても戦略的な製品でした。
しかし、強力なライバルが現れます。
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