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マインドセットを共有して信頼を築き、次世代に種をまく。鶴岡サイエンスパークが成長し続ける理由とは

一般社団法人 鶴岡サイエンスパーク 代表理事 冨田 勝氏インタビュー

特集
STARTUP×知財戦略

この記事は、特許庁の知財とスタートアップに関するコミュニティサイト「IP BASE」に掲載されている記事の転載です。

 バイオ研究所とスタートアップが集まる山形県鶴岡市の「鶴岡サイエンスパーク」。2001年の慶應義塾大学先端生命科学研究所の誘致からスタートし、ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(以下、HMT)、Spiber株式会社、株式会社メタジェンなど11社のスタートアップを輩出し、バイオ系スタートアップの一大エコシステムとして発展を続けている。多くの自治体が地方創生やスタートアップ創出に苦戦するなか、鶴岡サイエンスパークが成功した秘訣とは。鶴岡サイエンスパーク代表理事の冨田 勝氏にお話を伺った。

一般社団法人 鶴岡サイエンスパーク 代表理事 冨田 勝(とみた・まさる)氏
1957年東京都生まれ。医学博士、工学博士。慶應義塾大学工学部数理工学科卒業後、アメリカ・ペンシルバニア州カーネギーメロン大学コンピューター科学部大学院に留学し、人工知能の研究に従事。IT主導のバイオロジーを実践する研究施設として慶應義塾大学先端生命科学研究所(先端研)の設立に携わる。1990年より慶應義塾大学環境情報学部学部長、慶應義塾大学先端生命科学研究所所長を歴任し、慶應義塾大学名誉教授、一般社団法人鶴岡サイエンスパーク代表理事。2003年にヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(HMT)を創業。

1棟の研究所から20年、最先端のバイオスタートアップ集積地へ

 山形県・鶴岡市の鶴岡サイエンスパークは、2001年の慶應義塾大学先端生命科学研究所(以下、先端研)の誘致・開設から始まった。

 冨田氏は、「山形県、鶴岡市、慶應義塾大学の3者協定で研究所を作ることが決まったものの、研究内容も採用人事も何もない状態からのスタートでした。最初は十数人の研究者と小さな建物がひとつで、20年前にはこんなに大きくなるとは思っていませんでした」と振り返る。

 2003年にヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ株式会社(HMT)、2007年にSpiber株式会社とスタートアップが立ち上がり、研究者が増え、手狭になったことから鶴岡市がインキュベーション施設を増築。さらに、周辺にSpiber本社やホテル「SUIDEN TERRASSE(スイデンテラス)」などが建設されるなど徐々にエリアが拡大し、21.5ヘクタールの巨大バイオスタートアップ拠点へと広がっている。

 鶴岡サイエンスパークが成長している理由を求めて国内外から視察者が訪れているが、起業を促進する特別な仕組みや支援があるわけではなく、冨田氏が学生たちに起業を勧めたこともないという。

 冨田氏は「起業した学生たちは、みな突破力と情熱、使命感があり、意識が高い」と評する。もともと先端研に集まる研究者は研究への熱量が高いという。というのも、鶴岡へは東京から通えないため、移住が必須条件だ。数年は腰を据えて研究を続ける意思がある人だけがやってくる。鶴岡の地に集った者同士、熱く人生や夢を語る飲み会が頻繁に開かれ、そこからコミュニティが形成されてきたという。身近な先輩たちが起業し、事業を成長させていく背中を見て、自然と若い研究者も起業を目指すようになっていくようだ。

研究者を誘致するため、日本の研究所の常識を越えた環境づくりを

 とはいえ、先端研の開設時はゼロからのスタート。人材募集には苦労したようだ。

「学会で興味を持ってくれそうな先生方に声をかけると、慶應が新しい研究所をつくる、という時点では食いついてくるのですが、場所は山形県です、というと躊躇される。まずは鶴岡に招待して温泉旅館に泊まって一緒に食事をして語り合う、ということを毎週のように繰り返し、そのうちの一握りの先生が来てくれることになりました。

 開校後は、藤沢キャンパスの学生十数名を対象に、正式なカリキュラムとして鶴岡に1年間住んで実習実験するプログラムを開設しました。1期生の印象がその後20年を決めるので、いい評判が広がるように環境を整備しました。例えば、学生寮と研究所の距離がけっこう離れているので、自転車を研究所で購入して無料で貸し出したり、タクシー会社と提携して雨や雪が降った日には安く利用できるようにしたり。また、研究所にはジャグジーとサウナもあります」(冨田氏)

 ジャグジーとサウナは冨田氏の肝いりだという。

「最初、温泉を引いてください、と提案したら、常任理事から即座に却下されました。日本のサイエンスに足りないのがこの感覚です。アメリカの大学には、インドアプールやゲームセンター、バーもある。しかし、日本は研究施設には莫大なお金をかけるが、アメニティにはほとんどお金をかけない。若い研究者があこがれを抱くような、最先端の研究者たちが最高の環境のもとで楽しそうに研究しているようには見えない。アメリカの研究者はカッコいいと評価されるのに、日本の研究者はカッコよく見えない。それをひっくり返さないといけない。これは科学立国日本としてひとつの課題だと思います」

 シリコンバレーの企業が快適な職場環境に力を入れているように、いい人材の誘致には、魅力的な環境づくりは大事な要素だ。スタイリッシュにすることに投資を惜しまない、というのは鶴岡サイエンスパークの起業家たちのあいだで共通認識としているそう。Spiberの元社員であるヤマガタデザイン株式会社の山中大介氏が企画・運営するサイエンスパーク内のホテル「スイデンテラス」は、世界的建築家の坂茂氏が設計し、今や予約を取るのが難しいほどの人気だ。

やりたいことを実現し、続けていくために利益を出す

 ライフサイエンス分野は長い研究期間を要するため、資金調達が必要になる。しかし、鶴岡サイエンスパークは起業に際して資金調達に関する支援は行っていない。最初は、自己資金で始めるべき、というのが冨田氏の考えだ。

「スタートアップを始めるための最初の500万円、1000万円は自分、親戚、親友、親友の親戚、親戚の親友など自分を信用してくれる人たちから集める。信頼できる応援団から投資してもらえないなら、他人から集めるのは無理ですし、そもそもビジネスをやらないほうがいいのではと私は考えています。次に、地元の名士、学校の大先輩などのエンジェルや地元金融機関に投資や融資をお願いする。機関投資家にお世話になるのはそのあとであるべきです」(冨田氏)

 知財についても基本的には学生に任せており、特別な知財支援はないという。

「特許をとるべきなのか、は基本的に自分で考えさせます。彼らはみな知財意識が高く、修論や卒論の発表会でも黒塗りで発表することがあるほどです。ただし、ビジネス上の戦略として特許を取るというよりも、研究者として自分の技術を悪用されないようにするためで、フリーで開放することもあります。ビジネスを考えていない学生にも、知財を権利として取得することは、特許庁が認めるだけのものを発明したという証明になるので、研究を続けるためにも取っておくといい、という考えは共有しています」

 また、利益を出せるシーズを探す、という考え方には否定的だ。

「鶴岡には、利益を出せるシーズを探す、という考えの研究者はいません。まずは、研究費で研究し、社会実装するためにはどうすればいいか、と考える。いつまでも補助金や寄付金だけでは持続可能にならないので、利益を出さなければいけない。そのための手段として会社をつくるのです。さらにやりたいことを実現するためにIPOして大きなお金を集める。IPOを目指すのは我々にとってスタートラインであり、ゴールではありません。Spiberも石油が枯渇したあとの素材をつくることが自分たちの使命だと信じて20年続けています。続けていくために利益を出しているのです」

数字目標だけを追い始めると本質を見落としてしまう

 冨田氏は、日本でイノベーションが生まれにくいのは、成果を数値化して評価する社会に原因があるのではないかと話す。

「優等生は数字を追いかけてしまいがちではないか。学生は、何のために勉強しているのかを理解しないまま、いつのまにかテストの点を上げることが目的になってしまうことがある。すると、社会人になっても売り上げ成績など、数字だけを追いかけ続けてしまう。それではイノベーションは起きない。国もスタートアップの数を増やす数値目標を掲げている。マスコミも大学発スタートアップのランキングを出す。こうして数を追い始めると、本質から外れてしまう。トヨタやソニーなどのような日本を背負う大きな企業を生み出さないといけないのに、数だけ増やしても意味はないでしょう。こうした意識が問題なのです」(冨田氏)

 投資を受けると、一般的には3~5年で業績成長を求められる。IPOするには、一定の売上高を達成しなければならないため、上場前のスタートアップは研究投資を控えるようになり、研究の進捗は遅れてしまうこともある。価値の見える化、数値化が推奨されているが、数値目標にだけ捉われ過ぎると、本質ではない矛盾が起きる。

「意識の高い起業家には意識の高い投資家が必要です。支援する側にも意識の高い人がいないと、数値目標を達成することだけに捉われてしまうことになる。特に基礎研究は試行錯誤しながら新たな発見を探るものであり、数値目標を立てるのはナンセンスです。目標の達成率だけで評価が決まるなら、数値目標を低くすればいい、となってしまいます」

福澤スピリットと庄内藩の教育理念に通じる“脱優等生”的マインドセット

 これからの日本には脱優等生のマインドセットが必要、と冨田氏は説く。

「今は日本全体が優等生の論理で動いているように感じます。一握りの面白い人がいてユニークな提案してもつぶされてしまう。優等生的なものから脱しよう。戦後の社会を牽引した戦争経験者の世代はろくに学校にも行くことができず、明日の食べ物に困り、まさに人生を模索していた。その世代が戦後19年で東京五輪を成し遂げ、高速道路と新幹線もつくった。今の優等生的な考え方に当てはめれば、あの世代は優等生ではないことになるでしょう。でも、その戦中世代がリタイアし始めてから30年、イノベーションが起きなくなっているのではないでしょうか」(冨田氏)

 この脱優等生のマインドセットがスタートアップを生み出す源とすれば、なぜ鶴岡にはこのマインドセットが構築できているのだろうか。

「福澤諭吉の『昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり』という言葉があります。異端人を養成するのが慶應義塾大学の目的のひとつだったのです。まさに脱優等生です。鶴岡では原点である福澤スピリッツに立ち返ってやっています。

 加えて、鶴岡には庄内藩校致道館の教えである徂徠学(そらいがく)の教育理念『天性重視個性伸長(生まれながらの個性に応じてその才能を伸ばす)』があります。つまり、子どもたちが大人の常識から外れるようなことをしても止めずに見守る文化がある。福澤スピリットと庄内藩の理念。PTAや市民向けの講演でも、この2つを説明するようにしています」

地方創生にはゼロから産業を起こすことが大事

 全国の自治体が地方創生に取り組んでいるが成功例は少ない。鶴岡市は人口約12万人、農業を基幹産業とする典型的な地方都市であり、鶴岡サイエンスパークの取り組みは、地方創生のオープン検証といえる。

「多くの自治体は地域活性化のためにすでにある企業誘致に取り組みますが、誘致された側にとってマイナスであれば、より条件のいい場所へと企業は出て行ってしまいます。地域に根付いた産業として発展させるには、ゼロから起こさないといけない。今の大企業も戦後はベンチャー/スタートアップでした。トヨタは地域を発展させるために会社をつくったわけではなく、全国や世界に進出し、結果的に豊田市が企業城下町として発展した。この順番で考えなければいけない。それには最低30年かかるでしょう。それだけの長い視野をもち、次世代に種をまけるかどうか。

 鶴岡サイエンスパークを開設した当時の市議会では、なぜ、いち私立大学の研究所に継続的に何億円もの資金を出すのか、と指摘されました。それに対して当時の鶴岡市長は、『今の納税者へのメリットはないが、これは次世代の種まき、今まいておかないといずれこのまちはなくなります。知的産業でものやサービスをつくるためには、ゼロから産業を創る必要がある。そのために研究施設が必要』という強い信念を持っておられたのです。ものすごく腹が座っていることが私にも伝わりました」(冨田氏)

 開設して13年ほどは今のように注目は浴びることはなく、市民からの支持も薄かったようだ。ターニングポイントになったのは2013年、全国ネットのテレビ番組に先端研が取り上げられたことと、HMTが上場したことだ。鶴岡市にはその時上場企業がなく、HMTが唯一の上場企業となったことで、本当にゼロから産業が起こりはじめている、という期待感が市民にも広がった。その後の躍進は周知のとおりだ。

 最後に、全国の自治体や地方創生に取り組むみなさんへの、アドバイスを伺った。

「大事なのはマインドセットです。起業家も投資家も市長も腹を据えること。鶴岡市は、二十数年間ぶれることなく、一定の金額を投資し続けています。私はこれが続くという前提で研究所を運営しています。契約や協定を超え、マインドセットを共有した信頼関係を築き、心底納得した上で取り組むこと。損得勘定を超えた「使命感」がとても重要です。」

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