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「ソニー復興の劇薬」発売記念 特別コンテンツ 第1回

wena wristをつくったソニーの新卒統括課長が"ベンチャーを目指さなかった"唯一の理由

2016年07月29日 11時00分更新

文● 西田宗千佳 編集●イトー / Tamotsu Ito

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先輩の背中を追いかけてSAPへ

表示面に電子ペーパーを採用した高機能な学習リモコン「HUIS REMOTE CONTROLLER」。

 SAPの第一回オーディションを、あるガジェットのプロジェクトが通過していた。『HUIS』と名付けられた高機能学習リモコンである。HUISは、複数の機器のリモコンをまとめ、1つのデバイスから扱えるようにすることを狙ったもの。そうした〝万能リモコン〟は過去にもあったが、HUISの特徴は、ディスプレーとして、電源が入っていないときにも表示が行なわれる〝電子ペーパー〟を採用し、自由な組み合わせと使い勝手の両立を狙っていた。要は、スマートフォンの持つ自由度に近いものを持つリモコンを作りたかったのだ。

 HUISのプロジェクトを立ち上げたのは八木隆典。実は彼は對馬の1年先輩であり、学生時代から親交があった。八木はソニー2年生でありながら、同期とチームを組み、HUISのプロジェクトでSAPのオーディションを勝ち抜いた。

 

HUISのプロジェクトチーム。左から3番目が、プロジェクトリーダーの八木隆典氏。

 對馬は「八木さんたちが前にいたので、その背中を追いかければよかった」と話す。八木の存在は、對馬たちに大きな自信を与えていた。

「入社前から、家電のなにが不満なのかをずっと考えていました。リモコンはもうずっと変化していません。リモコンで使いたいボタン、必要なボタンは限られているのに、それがなにかは、人によって違います。私は、家具などを選び、部屋を作り込むのが好きなんです。でも、リモコンを選ぶことはできない。確実に、しかも使いやすいリモコンを自分で作り込むことができれば、そこには市場があるのではないか、と考えたんです」

 八木は、発想の根幹をそう説明する。

 對馬がそうであったように、八木も入社直後から、「自分が考えるリモコンを製品化できないだろうか」という検討を始めていた。そこでスタートしたのがSAPという計画である。新入社員でも、SAPのオーディションを通過すれば、自分たちの手で、自分たちが考えた製品を、できる限り早いタイミングで世に出せる可能性が出てくる。最初は電子書籍リーダーにリモコンのボタンを表示するところから実験を進め、徐々にコンセプトを煮詰めていった。

First Flight内のHUISのプロジェクトページ。一般的なクラウドファンディングと同様に、進捗に関するさまざまなお知らせもここから発信される。

 SAPのオーディションでは、応募してきたチームそのものが事業主体となり、独立採算でビジネスを行なう〝プラン〟全体が審査される。単に〝製品の企画〟を集めるのではない。その製品がどういう特徴のものかはもちろん、市場性・販売戦略・生産手法から、第二弾・第三弾とビジネスを広げていく過程での計画など、多岐にわたる審査が行なわれる。最初は数枚のペーパープランでの審査となるが、そのあとはより具体的な案が求められるようになっていく。

 当然のことながら、ビジネス全体を見通したことのない〝ソニー2年生〟にはとても難しいことだ。SAP事務局の側からもサポートは行なわれるものの、判断はすべてチームが主体的に行なわねばならない。審査はソニーの社員や重役だけでなく、外部の審査員もいる。具体的な人物名や経歴などは開示されていないが、起業経験者や学識経験者など、ビジネスの世界で一線級の人々が、応募者のプランを検討していく。ソニーの中で〝新しい小さな会社〟を作るような勢いで、事業計画を審査される。

 もちろん、SAPにとって最も重要な点は新奇性であり、ビジネスとしての安定性や収益性だけを評価するものではない。目的はあくまで新しいビジネスの創造にあるからだ。だが、そこで収益性を無視したアイデアコンテストをする気もなかった。これから、彼らは世界中の企業と戦わねばならない。外部の企業は、アイデアの新しさと収益性の両面で、厳しい競争にさらされながら戦っている。ソニーがSAPに求めているものも、まったく同じ環境なのだ。

 八木のチームはその中で、苦労しながらオーディションを突破していった。

 実はさらにその前、オーディション制度ができる前の段階で、SAPの中から製品化検討にこぎつけたものもある。『FES Watch』(以下FES)と『MESH』がそれだ。FESは、盤面とベルトをすべて、ディスプレーである電子ペーパーで構成した腕時計。盤面のデザインを変えられるのはもちろん、バンドも同時にデザインを変えられる。毎日好きなデザインに変えて持ち歩いたり、ある時間だけ別のデザインに変えてみたり、といったこともできる。
 FESのプロジェクトを指揮している杉上雄紀も、2013年に活動を本格化した当時ソニー入社6年目の若手である。『MESH』は、あらゆるものをスマート化するDIYツールキットだ。リーダーの萩原丈博が研究所で開発していたものを新規事業創出部で育成し事業化した。

 八木や萩原、杉上がビジネスプラン作りやオーディション通過のために苦労した情報は、すべて社内で共有されている。SAPの本格化に合わせる形で、ソニーはSAPに関連する社内SNSを立ち上げた。そこには、計画の詳細からオーディションの経緯と応募方法、そして応募結果に至るまでが、すべて公開されている。それを見れば、〝どこでなにをすべきなのか〟、〝どういう情報が求められるのか〟といったことがわかるようになっている。だから、後から参加した人々ほど、与しやすい内容になっている。

SAPが目指すものの正体

 SAPのオーディションを突破した商品企画のうち、個人向けの製品は、ソニーが運営するクラウドファンディングとEコマースを兼ね備えたマーケティングサイト『First Flight』を通じ、まず世に出る。wenaが記録を作ったクラウドファンディングも、First Flight発のものだ。

 2016年6月現在、First Flightを通じて世に提案されたものは3つ。最高額を集めたのはwenaだが、3つとも、クラウドファンディングで定めたゴール金額には到達し、支援者に製品が送り届けられることが決まっている。

 クラウドファンディングでのサポート募集は、必ず達成するとは限らない。一般的なクラウドファンディングの場合、目標額まで集まらない例も非常に多い。

 First Flightは、ソニーが新規事業のために行なうクラウドファンディングだ。一般的なクラウドファンディングは、資金のないスタートアップ企業が、プロモーションと資金集めの両方を兼ねて行なうものである。ソニーのような大企業の場合、資金面は本来、問題にならない。経営状況がどうあれ、スタートアップが必要とする、数千万円から数億円の資金を出せないはずがない。そのためFirst Flightには「意味がない」、「ある種のやらせ。集める金額も、成功するのが保証されている程度のものを目標にしており、失敗は想定していないのだろう」と言われることも多かった。

 だが、SAPとFirst Flightに関わるメンバーは一様にそうした指摘を否定する。目標金額は真剣にリサーチした結果として設定された値だ。香りのエンタテインメントを目指す「AROMASTIC」は、難航のうえ成立に漕ぎ着けたが、失敗する可能性も十分にあった。その時には事業見直し、という予定だった。目標額の10倍を集めたwenaにしても、単純に喜んではいられない。

 

”香りのエンタテインメント”をコンセプトとする「AROMASTIC」。マイクロ流路という技術を使うことで、自分だけに感じられる香りを発生させたり、瞬時に5種類の香りの切り替えたりできる。111%達成でプロジェクトはサクセスした。

試作用のプロトタイプ(左)とモックアップ(右)。デザインの精度はまさにソニークオリティと思わせる。これまでにない、アロマのジャンルにソニーが進出するのは、SAPだからできたことかもしれない。

「まず問題になったのは、これだけ支援をいただいたのはいいけれど、本当に需要の分だけ生産できるのかということ。出荷できなければ意味がないですから」

 wena担当の對馬はそう説明する。需要増加にこたえるため、生産量に合わせ、届ける時期をブロックに分け、そのブロックごとに生産したうえで、申込者には「いつ届くかをきちんと通知する」というやり方が採られた。

 SAPを通過したプロジェクトでは、製品化に向けたプロセスも、それを販売する時の収益性も、すべてが〝同じチーム〟で判断される。AROMASTICのチームは、プロモーションとリサーチのために店頭に立ったのだ。そういう手間を厭わなかったのも、wenaのチームが需要対策を検討するのも、そのためだ。予算もすべて規模に応じて定められており、〝自分が提案したプロジェクトに関連することは、すべて自分たちで面倒を見る〟システムになっている。これは、ソニーのような大企業で採られる手法ではなく、スタートアップ企業がソニーの中に生まれているようなものだ。

 通常、ソニーのような大企業で事業化する場合には、製品の開発を担当事業部が行ない、その販売を販売担当部門(もしくは販売会社)が行なう。分業形式であり、ひとつの製品の売り方や行方について、すべての面を担当する人間はいない。大量に売れる製品を開発し、それを世界中にある量販店で販売するには、担当領域を定め、かつ分業で行なうのが効率的であり、そのために、〝大企業〟というシステムが存在している。

 だがSAPのプロジェクトでは、ソニーが持つ〝事業部〟の仕組みからは完全に離れてビジネスが回る。通常は社内の別々の部署として存在する商品の企画も、それを製造するための技術の手配も、ビジネスプランの策定も、販売促進もすべて、製品を企画したチーム自身が担当する。

 既存事業部の事業領域とは重ならず、しかも展開がしにくいプロジェクトを選抜し、企画者たちの責任においてビジネスへと立ち上げていく。

 これが、SAPの目指すものの正体だ。

 ではなぜ、そのような仕組みをソニーは必要としていたのだろうか。それを考えるには、ソニー社長である、平井一夫が抱えていた課題を知る必要がある。 (続く)

(抜粋転載にあたり、本文の一部を追記・修正しています)

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ソニー復興の劇薬 SAPプロジェクトの苦闘

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