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WoWs登場艦をガチ解説! 日本ツリーで必ずお世話になる6隻を知ろう

2015年12月26日 18時00分更新

文● 有馬桓次郎 編集●南田剛志、村山剛史/ASCII.jp

日本海軍史その3
日本艦の特徴を決定し、また足枷となったものとは?

 第一次大戦で戦勝国となった日本は、ドイツが持っていた中部太平洋の植民地を信託統治領として得ることになった。そしてこの事が、太平洋の向こう側の大国アメリカに強烈な警戒心を抱かせることにつながる。

 先だって、アメリカは日露戦争の講和会議であるポーツマス会議で仲介役となったんだけど、両国を仲裁することであわよくば中国大陸の権益を得ようと考えていた。ところがその目論見が大失敗して日本が満州の権益を一手に握ることになり、日本に対する不信感が芽生えてしまったんだな。

 それでもフィリピン植民地を橋頭堡として中国大陸への進出をはかっていたアメリカだったけど、第一次大戦のあとで日本が南洋諸島を得たことにより、アメリカ本土からフィリピンへの連絡線に重大な危機が生じてしまったわけ。

 一方、同じく中国大陸への進出を目論んでいた日本もまた、アメリカを一番の仮想敵国として考えていた。そしてアメリカとの戦争となれば、矢面に立たされるのは海軍であることに間違いはない。日本海軍は第一次大戦の後、何としても八八艦隊を実現するため国力の限界をも上回る大建艦計画を次々と打ち出していく。

 それに待ったをかけたのが、1922年(大正11年)の「ワシントン海軍軍縮条約」だ。各国の軍艦、特に戦艦の保有数を制限して、第一次大戦後に急激に膨張していく戦勝各国の海軍費を抑制しようというのが条約の狙いだったんだけど、この条約の中で日本はアメリカに対して6割ほどの戦艦保有数しか認められなかったのだ。続く1930年(昭和5年)の「ロンドン海軍軍縮条約」では戦艦以外の軍艦にも規制の幅が広げられ、結果として日本の国防戦略は重大な岐路に立たされてしまう。

 そして生まれたのが、優勢なアメリカ艦隊を段階的に攻撃し、最終的には主力の戦艦部隊の砲戦で勝敗を決するという「漸減作戦」構想だ。この後の日本海軍は、戦略・戦術からその思想、兵器の性能にいたるまで、あらゆる点においてこの漸減作戦を成立させるために整備が進められていく。しかし、それらは同時に自らを縛る足枷にもなり、やがては太平洋戦争で悲惨な敗戦をもたらす遠因のひとつとなっていくのである。

Tier3戦艦「河内」
“あの”お爺さんが余計なことを言ったから……!?

そこらの巡洋艦にアウトレンジされる射程の短さにドン引きしてはいけない。河内の本領は、重装甲を信じてのインファイトだ!(なお、調子に乗って近づくと魚雷の餌食になる模様) (C) Wargaming.net

 世界に衝撃をあたえた「ドレッドノート」の登場後、日本海軍が大正元年(1912年)に誕生させた初のド級戦艦がこの河内型。「ドレッドノート」と同程度の能力を持つ艦をド級艦、それを超える能力(特に主砲口径)を持つ艦のことを超ド級艦とよび、それに満たない従来艦のことを準ド級艦として区別する。今じゃケタ違いの大きさや凄さをあらわす日本語になってるよね。

 さて、この河内型戦艦は30.5cm連装砲6基を亀甲型に配置して中間砲を全廃し、統一射撃の際の命中精度を向上させている。さらに蒸気タービン装備で速力20ノット超を達成しているから、ド級艦としての諸条件を満たしているはず。それでも、この河内型はド級艦ではなく準ド級艦に分類すべきという論が根強くある。それは何故か?

 実は河内型の30.5cm主砲のうち、艦軸線上の前後2基については50口径砲を採用していて、残り4基の45口径砲とは性能がぜんぜん違っていたのだ。しかも統一射撃のときはわざわざ50口径砲の装薬(砲弾を撃ち出すための火薬)を減らして45口径砲の弾着に合わせていたというんだから、もう何のために性能が優れた50口径砲を積んでいたのか判らなくなってくる。

 一説には、東郷平八郎軍令部長から「艦の中心線上にある砲は他より強力でないとイカンでゴワス!」と言われたから、らしい。日本海海戦の連合艦隊司令長官として生ける軍神になった東郷さんだけど、これ以降は色んなところに口を出す迷惑ジイちゃんへと変わっていくのである……。

 2隻が完成した河内型戦艦なんだけど、その内の1番艦「河内」は完成からわずか6年後の大正7年(1918年)、徳山湾で停泊中に突然の火薬庫火災により爆沈した。一部は引き揚げられたそうだけど、現在も徳山沖の海図には湾の中央部に沈船として表示されている。

(C) Wargaming.net

Tier4空母「鳳翔」
(イギリスに)勝ったッ!第3部完!

日本ツリーを進めていくと「鳳翔」が初の空母プレイ体験になる。米空母との違いは、1個飛行中隊における機数が少ない代わりに中隊数自体が多いこと。つまり、米空母の飛行中隊と一対一でぶつかり合えば敗北は必至。一撃が軽い分、手数で戦場を支配するのだ。(C) Wargaming.net

 船の上から空飛ぶ乗り物を扱うという発想はそこそこ古くて、1849年にオーストリアが気球母艦を投入してヴェネツィアを爆撃したのが最初。第一次大戦でも各国が水上機母艦を運用し、日本でも水上機母艦「若宮」から発進した水上機が中国・青島を爆撃して、これが日本初の飛行機の実戦投入となった。

 水上機はフロートがあるぶん性能が陸上機とは較ぶべくもない。また、水上機はいちいちフネを停めないと引き揚げる事もできないから、これを船にのせて運用するには手間がかかる乗り物だ。だったら船の上を飛行場にして陸上機を使ったら楽なんじゃね? てのは誰でも思いつく話でしょ。

 イギリス海軍では大型軽巡洋艦「フューリアス」の艦橋前後に飛行甲板を設置して陸上機を運用してたけど、これだと艦橋が邪魔になって離着艦時に危険が大きい。日本は軽巡洋艦「木曽」の艦橋の前に滑走台を設置して偵察機を飛ばしていたが、発進はよくても着艦は不可能だ。ならば甲板全体を一枚の飛行甲板とすれば、陸上機を発進させることも、着艦させることも安全にできるようになるよね。

 イギリスは客船の上部を切り取って全通甲板をそなえた「アーガス」を持っていたけど、これに倣って日本海軍は大正7年(1918)年、全通型甲板をもつ特務船第7号、後の空母「鳳翔」の設計をスタートする。

 この時すでにイギリスは最初から全通甲板空母として設計された艦「ハーミーズ」を起工していたけど、こちらは工事が遅れに遅れてしまい、設計段階からの全通甲板型空母として世界初の完成を迎えたのは「鳳翔」が先となった。バンザイ、ようやく日本がナンバーワンだ! でも最初に「鳳翔」に着艦したのはイギリス人だけどね……。

 こうして誕生した「鳳翔」は、小さい身体ながら第一次大戦後から日中戦争にかけての日本海軍の主力空母として各地で奮戦した。太平洋戦争がはじまるとさすがに古さはぬぐえず、戦争後半には新型機に対応するため甲板を大型化。その結果外洋航行が不可能となって、主に瀬戸内海で練習空母としてパイロットの育成にあたっている。

(C) Wargaming.net

筆者プロフィール

有馬桓次郎(あるま・かんじろう)
 ミリタリーライター。主に近現代の軍事史や歴史、民俗史を中心として各誌で執筆。またゲームや小説作品の軍事考証も担当している。近年の研究テーマは「日本海軍の料理史」。ASCII.jpには濃いミリタリーネタが必要になった際に賑やかし役として呼ばれる傾向にある。著書は「戦車に夢中です!」(小学館)、「20世紀の軍人列伝」「世界の名脇役兵器列伝」(イカロス出版)など。現在は「ミリタリークラシックス」にて“ミリタリー人物列伝”を連載中。年明け1月21日発売の2016年3月号ではジョージ・パットンを取り上げる。

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(提供:ウォーゲーミングジャパン株式会社)

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