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WoWs登場艦をガチ解説! 日本ツリーで必ずお世話になる6隻を知ろう

2015年12月26日 18時00分更新

文● 有馬桓次郎 編集●南田剛志、村山剛史/ASCII.jp

日本海軍史その2
ワンチャンものにしたのもつかの間、2つの衝撃が海軍を襲う

 日露戦争に勝利した日本海軍は、その後の長期的な国防計画として艦齢8年以内の戦艦8隻、装甲巡洋艦(後に巡洋戦艦へと変更)8隻を常にそろえるという「八八艦隊計画」を構想し、それを目標にかかげて段階的に整備が進められていくことになった。

 実はこの時点でも艦齢8年未満の戦艦9隻、装甲巡洋艦8隻を保有していたんだけど、いずれはこれらの艦も古くなるし、また戦艦は全て海外で建造されたものだ。日本の建艦技術も向上しつつあるし、これらをゆくゆくは国内で建造された新しくて強力な艦に切り替えていこう、というのが計画の骨子だった。

 ところが1906年(明治39年)、イギリスで誕生した「ドレッドノート」という1隻の戦艦が、世界の海軍に激震をもたらすことになる。この戦艦の最大の特徴は、単一口径の主砲を10門搭載して、それ以下の中間砲や副砲を全廃していたこと。文字で書くと簡単だけど、これは当時としてはとんでもないことだった。

 当時の戦艦は、敵艦の中枢部を破壊する大口径の主砲4門に加え、それ以外の部分を攻撃する中間砲や副砲をずらりと装備するのが一般的だった。ところがこれだと、砲の威力や射撃速度がバラバラなだけに統一した指揮が難しく、さらに弾着が大きく異なるから長距離で敵艦を照準するときに命中精度が低下してしまう。「ドレッドノート」は砲の性能を同じくしたことで統一指揮をやりやすくし、長距離砲戦での命中精度を格段に向上させた画期的な戦艦だったわけだ。

 この時、日本では30.5cm砲4門、25.4cm中間砲12門を装備し、排水量では世界最大を自負する戦艦「薩摩」を横須賀で建造していた真っ最中。ところがまだ完成もしていないのにいきなり旧式化したんだから、当時の日本海軍の驚きは相当なものだっただろう。

 そして1914年(大正3年)に勃発した第一次世界大戦は、二度目の衝撃を世界の海軍に与えることになる。この戦争の中で行なわれたイギリス海軍 vs ドイツ海軍の戦い「ジュットランド海戦」では、彼我の砲戦距離が1万5000mを大きく上回り、飛んできた砲弾がほぼ垂直に命中して大被害を与える例が多数報告されたのだ。

 それまでの戦艦は距離1万m以下での砲戦を前提として、主に水平に近い弾道で飛んでくる砲弾への対処を考えて設計がなされていた。ところがジュットランド海戦で、ほとんど無防備だった甲板が真上から降ってきた砲弾によって貫通される例が多数あったために、以降は甲板装甲も大幅に強化する必要が出てきたわけだ。

 「ドレッドノート」の出現と、ジュットランド海戦。二度の激震に見舞われた日本海軍は、以降も世界の潮流に翻弄されながら難しい舵取りを迫られていく事となる。

Tier2駆逐艦「海風」
1000t超!蒸気タービン!連装魚雷! 初物揃いの一隻

ゲーム中では最初に触る駆逐艦。魚雷の再装填時間が短い&改装後の射程がそこそこ長いので、慣れた人間が操ると意外な強さをみせる。(C) Wargaming.net

 1900年代初頭の駆逐艦はいいとこ排水量400トンがせいぜいで、当時は色んな艦種に導入されつつあった蒸気タービン機関をのせるには船体があまりにミニマムすぎた。蒸気タービン機関はそれなりにカサがあるため、無理に小型の船体にのせようとすると船体自体の構造強度がガタ落ちになっちゃうのだ。

 そこで蒸気タービンを搭載するため、一挙に排水量1000トン近い大きさまで船体を大きくしたトライバル級駆逐艦がイギリスで誕生。WoWS日本ツリーのTier2で登場する海風型駆逐艦は、このトライバル級を参考として日露戦争後の明治44年(1911年)に誕生した艦だ。

 日本の駆逐艦としては初めて排水量1000トンを超え、かつ日本駆逐艦初の蒸気タービン搭載艦だった海風型は、多分に実験艦としての要素が強い上に当時の日本には量産できるだけのカネがなく、わずか2隻が竣工したのみ。でも最高33ノットを発揮できる足の速さと、連装魚雷発射管(これも日本初)をもつ強武装な海風型は、当時はまだまだ1000トン超の駆逐艦が世界でも珍しかったこともあって、日本海軍を代表する駆逐艦として世界に誇れる艦となったんである。

(C) Wargaming.net

Tier3巡洋艦「天龍」
確かに怖いが、暑いし煩いし居心地悪い!

ゲーム中では、このフネから巡洋艦でも魚雷が発射可能になるぞ。フフフ…… (C) Wargaming.net

 ちょっとおさらい。筑摩型防護巡洋艦は、機関部だけに装甲を施していたそれまでの防護巡洋艦に対して舷側にも軽装甲を加えた艦って書いたけど、これはそのまま軽巡洋艦にも当てはまる条件。つまり軽巡洋艦は防護巡洋艦の直接的な後継にあたる艦種で、筑摩型が日本最後の防護巡洋艦なら、この天龍型は日本初の軽巡洋艦ということになる。

 大正4年(1915年)に計画スタートしたこの天龍型は、WoWS日本ツリーのTier4に登場する磯風型駆逐艦を拡大した船体に、14cm単装砲4基と53cm三連装魚雷発射管2基を艦の軸線上に配置。日本海軍初のギヤード・タービンを装備して駆逐艦並みの最大33ノットを発揮でき、駆逐艦を主体とする水雷戦隊の旗艦として使うために最適化された艦だった。

 ちなみにギヤード・タービンとは、それまで蒸気タービンとスクリューは直結されていたのに対して、間に減速ギヤをはさんで回転数を適正化し推進効率を上げたもの。蒸気タービンは毎分4000回転あたりがいちばん効率が良く、一方で最も効率の良いスクリューの回転数は毎分100回転前後。なので途中に回転を落とすギヤをはさんでやれば、タービンの力を無駄なく推進力に変えることができるわけだ。

 ただ、この天龍型は排水量3200トンばかりと艦型が小さすぎ、それにも関わらず3基も載せられたギヤード・タービンが艦の中央にデデーンとあったものだから、暑いわうるさいわ狭いわで居住性が最悪。さらに改装して強化する余裕もないってことで、計画では6隻建造の予定が「天龍」「龍田」の2隻のみに終わってしまった。まあ、武装と足の速さは当時の世界水準超えてるってことで!

(C) Wargaming.net

(次ページでは、「日本艦の特徴を決定し、また足枷となったものとは?」)

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