「秋葉原についてのページを始める」と言ったら、「秋葉原ですか? それともアキバ?」と聞かれた。
電気やパソコンの街としての秋葉原の上に、コンテンツの街としてのアキバが重なっているんだったら、その両方に決まっている。なにしろ、「秋葉原」も「アキバ」も、いま最も危なっかしいくらいの勢いで変化してきているからだ。
“秋葉原ITセンター”と仮称されていた秋葉原クロスフィールド巨大ビルの登場、昭和通り側にも広大な売り場面積を持つヨドバシカメラ進出、それとはまったく別に、萌えの街、アキバ系の街、コンテンツの街としての秋葉原も、たえず動き続けているのはご存じのとおり。
「東京の重心が東に移ってきている」という話があって、品川や日本橋などで再開発が行われているから当たり前なのかもしれないが、これから東京の東側が活性化してくるそうだ。逆に、東京の西側はこれから緩やかに「懐かしさ」を象徴する地域になっていくのではないかと思う。
渋谷のQフロントや109あたりは、いまの浅草ロックみたいな雰囲気になるんではないか?
2005年1月、本ホームページ制作のため秋葉原UDX建設中屋上より秋葉原中央通りを撮影中 |
いま新しいといったらなんといっても秋葉原である。もともと趣味性の高いアメ横の新陳代謝が行われて、上野や御徒町が脚光を浴びてくるとしたら、秋葉原・御徒町・上野から、ネット時代に本の街として再活性化している神田神保町が繋がる。エレクトロニクス技術を広い意味でのポップカルチャーと定義すれば、「ジャパニーズ・ポップカルチャーのベルト地帯」とでもいうべきものを構成するのかもしれない。その中心は、山手線東側の駅名をずらりと並べて、渋谷から伸びる半蔵門線と新宿と千葉を結ぶ総武線、そして、この秋開通するつくばエクスプレスが作るトポロジーを見れば分かる。やっぱり、秋葉原しかないのだ。
日本を、世界をだってドライブしてしまいかねない。
そんな秋葉原という街を、さまざまな角度から見つめていくのがこのホームページに与えられた役割である。
2005年4月1日
アキバの未来を見つめる会
代表 遠藤諭