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科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第93回

【JSTnews5月号掲載】イノベ見て歩き/「STI for SDGs」アワード 2025年度文部科学大臣賞「尊厳ある暮らしと寄り添うケアを支えるシステム開発」

拘束しない認知症ケアを目指す、現場に寄り添った行動検知システムを開発

2026年05月22日 12時00分更新

文● 肥後紀子 写真● 島本絵梨佳

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山初 和也(左)。泉中央病院 外科部長/雨宮 歩(中央)。千葉大学 大学院看護学研究院 講師/市田 誠(右)。アイ・メデックスホールディングス代表取締役社長。

 社会実装につながる研究開発現場を紹介する「イノベ見て歩き」。第29回は、認知機能が低下した入院患者が無意識に点滴などを抜き取る「自己抜去(ばっきょ)」の行動を事前に検知して防ぐシステムの開発に取り組む、千葉大学大学院看護学研究院の雨宮歩講師らに話を聞いた。大学・企業・医療現場が連携した「循環型開発」により、尊厳ある認知症ケアの実現を目指している。

患者の身体拘束を減らしたい
本格的な開発は企業と一緒に

 千葉駅からバスで約15分の千葉大学亥鼻(いのはな)キャンパス。ここで看護理工学を専門として研究する雨宮歩講師は、医療機器メーカーのアイ・メデックスホールディングス(千葉市)、泉中央病院(千葉市)と共同で「リガード」というプロジェクトを立ち上げ、認知機能が低下した患者を対象に、身体拘束を減らすことを目的に接触検知センサーを使ったシステムの開発に取り組んでいる。

 研究のモチベーションとなっているのは「誰一人取り残さず、尊厳ある認知症ケアを実現したい」という強い思いだ。認知機能が低下している患者は、無意識のうちに点滴チューブなどを触って自己抜去することがあるが、そうなると治療が中断し、再処置が必要になる。これを防ぐために多くの病院では、認知症の患者に対しやむなく身体拘束をしている(図1)。研究者になる前は看護師として病院で勤務していた雨宮さん自身、身体拘束せざるを得ない場面が何度かあったという。

「患者さんの身体拘束を減らして、かつ医療現場の負担も増やさない安全な方法はないかと以前から考えていました」と雨宮さんは語る。実際に研究開発を始めたのは約10年前からだ。患者が点滴のチューブなどに触ると反応するセンサーを用いて、自己抜去につながる可能性の高い動作を検知しようと考えた。当初は、雨宮さんが一人で試作機を製作していたが、本格的な開発には企業と連携する必要があると考え、2017年にアイ・メデックスホールディングスの市田誠社長に声をかけた。

図1 点滴の管や針が抜けた場合には入れ直す必要があるが、高齢患者の場合、点滴の針が入りにくく、痛みも伴う。自己抜去を防ぐために身体拘束が実施されているが、患者にとっても看護師にとってもデメリットが大きい。

接触検知シートは波形にカット
病院で有用性と高精度を実証

 医療機器メーカーが加わったことで、研究開発は大きく進んだ。雨宮さんがすでに考えていた大まかな仕組みをベースに、市田さんの会社と雨宮さんの研究室が共同で具体的なセンサー部分の工夫を重ねた。最終的には、点滴の針を刺して固定している部位の接触検知センサーシートに手や指が触れたことを検知する方式を採用した。センサーシートは幅6.0センチメートル・長さ13.7センチメートルで「高齢者の細い腕にもフィットするように、シートの形は長方形ではなく波型にカットし、シートに貼られた回路は患者が気にならないような色合いにしました」と市田さんは工夫を語る(図2)。

 患者の接触にセンサーが反応すると、ナースステーションのタブレットに「検知しています」と表示され、音も鳴るようにシステムを設計した。このソフトウエアも一から開発したものだ。また、患者が点滴を気にしてさぐるような動きのみ検知できるよう、1.5秒間に2回以上触った場合に検知する設定にしているという(図3)。これは、雨宮さんが臨床現場を熟知しているからこその細かい設定といえるだろう。

図2 システムは、接触を検知するセンサーシートとタブレットのセットで構成される。使用する際は患者の点滴刺入部に包帯を巻き、その上にシートを貼り付ける。

図3 センサーシートには2つの回路が張り巡らされていて、同時に触れると接触を検知し、通知を送信するようになっている。検知時の警告音は、他の医療機器で鳴るアラームや心電図の音と混同しないように音の高さなどを工夫している。また、検知時の病室の画像も表示可能で、看護師がすぐに病室に駆け付ける必要があるかどうかも、タブレット上で確認できる。

 システムの完成後、病院での実証調査のために雨宮さんはいくつもの病院に話を持ち掛けた。しかし、医療現場への新しい機器の持ち込みは非常にハードルが高く、協力してくれる病院はなかなか見つからなかった。そんな時、市田さんが古くからの友人で外科医の山初(やまはつ)和也さんを紹介してくれた。山初さんが勤務していた病院を退職し、実家が経営する泉中央病院の外科部長に就いたタイミングだった。

 山初さんは「患者さんのメリットになって、職員の負担軽減にもつながる研究ならぜひ協力したいと思いました」と調査を引き受けた当時のことを振り返る。98床と小~中規模の病院であり、山初さんが病棟の管理責任者だったことも幸いした。調査は数人の患者から始めて、最終的には14人が参加した。調査に参加してもらう際には、雨宮さんが家族と患者本人に丁寧に説明した。家族からは「身体拘束をしないでもらえるなら、ぜひお願いしたい」という声が多かったそうだ。

 病院での調査の結果、このシステムを使用した場合には、調査時間480分のうち440分の間、身体拘束を解除できた。一方、システムを使用しない場合、拘束を解除できた時間は480分中わずか8分にとどまり、このシステムの有用性が証明された。雨宮さんは「システムを使わない場合、身体拘束を外すと患者さんが気になって触ってしまったり、看護師が不安に感じてすぐに拘束したりするというケースが多かったようです」と補足する。また、合計70時間の使用で誤報はわずか2件で、精度の高さも示すことができた。

循環型、速度と理解度が長所
検討課題は販売後のサポート 

 接触検知センサーシステムによって身体拘束の削減を目指すリガードの研究開発は、科学技術・イノベーションによって社会課題を解決する取り組みをJSTが表彰する「STI for SDGs」アワードの2025年度文部科学大臣賞を受賞した。また今回の研究開発は、大学と企業、医療現場が連携し、現場での検証と大学での改良を繰り返す循環型開発で進めていることも注目された。

 雨宮さんは、循環型開発の長所として、スピード感と理解度の深さを挙げる。「多くの場合、企業の方は研究者が伝えた情報を基に機器などを開発しますが、今回は市田さんが自ら病院に来て実際の状況を見てくれていたので、必要な改良をスピーディーに進めることができました」。山初さんが責任者として現場にいたことで、病院側ともスムーズに連携できたそうだ。市田さんは「海外では循環型開発が当たり前になっています。今後は日本でも徐々に取り入れられていくのではないかと思います」と語る。

 現在は、リガードの法人化についても話し合っているという。事業化に向けた課題のうち、雨宮さんがもっとも重要だと考えているのは販売後のサポートだ。「販売して終わりではなく現場の看護師さんに対するサポートまで考えていきたいですね」と語る。

 雨宮さんは2023年からJSTの創発的研究支援事業で在宅介護における認知機能低下の早期発見研究にも取り組んでいる。病院と自宅の両方で、誰一人取り残さない「人生の最期まで尊厳が守られる社会」の実現に思いをはせる。

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