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どんな物語を綴っていきたいのか、決めるのはいつも自分

【岐阜アントレプレナーインタビュー】三星グループ

提供: 岐阜アントレプレナーシッププログラム/岐阜県

 岐阜県は、地域の産業の担い手の育成と経済をけん引する新しい産業やイノベーション創出を目指した教育イベント「岐阜アントレプレナーシッププログラム(Gifu EP)」を開催。スタートアップや創業者など、岐阜県内のアントレプレナーの事例や各取組を紹介します。

輝かしいキャリアを捨てて100年企業の跡継ぎに

 岐阜県羽島市に拠点を構える三星グループ。衣料向け繊維素材の企画・製造を行う三星毛糸株式会社や三星ケミカル株式会社などが名を連ねる老舗企業で、その代表を務めるのが5代目の岩田真吾(いわた しんご)さんだ。

三星グループの代表を務める岩田真吾さん。さまざまなプロジェクトを立ち上げるアントレプレナー

 岩田さんは東京の大学を卒業後、大手総合商社、そして外資系コンサルに勤務。華やかなキャリアを歩んでいたが、27歳のときに家業を継ぐことを決意し、地元に戻る。翌年の2010年に社長就任。その後、アパレルブランド「MITSUBOSHI 1887」の立ち上げや、地元の同業者を巻き込んだイベント「ひつじサミット尾州」の企画など、攻めの経営を展開。創業から130年以上続く三星グループに、次々と新しい価値を生み出していく。特に「ひつじサミット尾州」について、岩田さんは「自分にとって大きなターニングポイント」と振り返る。

「社長に就任した当初は、企業なんだから生き残るところが生き残ればいいと考えていました。担い手の不足や市場の縮小によって、私たちも苦しい状況でした。ですが、コロナ禍を経験して、そんな考えでいることが正しいのか疑問が生まれました。180度、考え方を方向転換して、周囲を巻き込んだことをやろうと思うようになったのはそれからです」

「ひつじサミット尾州」は産地活性化を目的に、使い手と創り手、創り手と創り手をつなぐことを意識して企画された。一般向けに工場を解放して、お互いの技術を知ってもらい、さらにどんな情熱を持ってモノづくりに励んでいるのか、それを伝えていこうと取り組んだ。11人の有志でスタートしたイベントは、最終的にオンラインを含め約1万5000人が参加する一大イベントとなった。

 2022年にはアトツギ×スタートアップ共創コミュニティの「TAKIBI&Co.(タキビコ)」を立ち上げた。さまざまな業界から14社がパートナー企業として参加。アトツギ(老舗企業)とスタートアップ企業のクロッシング(交わること)を目的にした、新しい価値を共創するコミュニティとして活動している。

 主な活動として、コミュニティメンバーで学び合うイベントや、双方の会社見学などを実施している。直近では、「GGSS(Gifu Global Science Students)」という岐阜県内の理系大学、高専、高校生を対象にしたイベントを開催。アントレプレナーシップマインド、グローバルリーダーシップを醸成するための、学び・つながる・行動を促進するコミュニティとして立ち上げた。

共創基地としても機能する「TAKIBI&Co.」。ここで勉強会などを行っている

「誰かのために行動すれば必ず自分に返ってくる」

 三星グループの代表としてだけでなく、「ひつじサミット尾州」や「TAKIBI&Co.」など、会社の枠を超えて幅広い活動を行っている岩田さん。学生時代、そして社会人として過ごしていた頃はどんな青年だったのか。

「中高生の頃は真面目な学生だったと思います。最初の転機は、親元を離れて東京に出たことですね。銀座の有名なおでん店でバイトしたり、大手広告代理店のインターンとして働いたり。社会に触れる中で跡継ぎだけが人生じゃないと感じるようになりました」

「チャンスがあるなら留学など、早くから親元を離れて外の世界を見たほうがいいと思います」と話す岩田さん

 大学卒業後、大手総合商社に就職。もっと見識を深めようと外資系コンサル会社へ。跡継ぎのことなどすっかり忘れるくらい多忙な日々を過ごし、「あの頃は本当にハードで、必死に働く毎日でした」と岩田さんは振り返る。ただ、当時の経験が結果として家業を継ぐきっかけとなった。

「クライアントである経営者の右腕として働く中で、いつしか自分も経営をやりたいと思うようになったんですよね。せっかくやるなら早いほうがいいとも思いました。そこでようやく『あ、自分は跡継ぎだった』と思い出したような感じです。起業も検討しましたが、100年以上続く会社を変革させることも価値のあることじゃないかと思いました。むしろ、そのほうがユニークで面白いストーリーじゃないかと。それで27歳のときに戻ってきました」

 家業を継ぐにあたり、当時の同僚からは「火中の栗を拾うようなこと」と言われたそうだ。代替素材の登場および市場の縮小に伴い、繊維業界は決していい状況ではなかった。そのことについては先代の父からも聞かされていたため、「だからこそやる価値がある」と前向きに考えた岩田さん。社長就任後に海外への展開、自社ブランドの立ち上げ、サスティナビリティな仕組みの確立など、これまでにない挑戦を続けていった。そして、ターニングポイントが冒頭でも紹介した「ひつじサミット尾州」だ。

「『ひつじサミット尾州』は、自分が思った以上に大きく育ち、私たちにあらゆることを還元してくれました。産地活性化のためにやったつもりだったのに、三星グループに若い世代が入社してくれたり、自社ブランドが認知されてファンが増えていったり。企業の枠に閉じこもって活動するよりも、その枠を超えて連携したほうがいいのだと理解できました。そして、利他のために動けば利己として返ってくる。それも体感しました。『TAKIBI&Co.』の立ち上げもそうした流れからです」

 さまざまなアクションを起こしてきた岩田さん。どれも誰かに言われてやったことではない。会社に戻ることも新規プロジェクトの立ち上げも、すべて自分で決断してきた。 「父は『大事な物事は自分で決めている』とよく言っていました。その言葉を受け継ぎ、私自身もすごく大切にしています。言い訳したり誰かのせいにしたりするのは簡単ですが、自分で決めれば意思に強さが生まれます。逃げ道もなくなります。失敗したらやり直せばいい。自分で決断し、退路を断ち、アクションを起こしていくこと。それが大切だと思います」

 岐阜県でもスタートアップ支援組織が立ち上がり、新規事業の立ち上げや創業を支援する機運が高まっている。また中高生向けのアントレプレナーシップイベントも開催された。起業もキャリアのひとつとして考えられる学生も増えてくるのではないだろうか。

 最後に、起業に興味がある方々、起業を考えている方々に向けてメッセージをもらった。 「自分を人生という物語の主人公と考えたとき、平坦な道ばかりだと飽きてしまいますよね。山あり谷ありの物語のほうがきっと面白いはず。自分はどんな物語を歩みたいのか、そういうマインドセットが大切だと思います。人生をどう綴っていくのか、どう綴っていきたいのか、その視点を持ってチャレンジしてもらえたらと思います」