子供に関する叱り方は親であれば永遠のテーマといってもいいかもしれません。
私も今までいろんな叱り方をしてきましたし、感情にまかせて怒りをぶつけたこともあります。
その中のひとつのお話です。
●答えを教えていなかった
私にはピアノを習っている娘がいるのですが、ある程度弾くことができるようになったのに音符がきちんと読めませんでした。私はおぼえさせようと、“ド”の音を指差すのですが、
私「これは何の音?」
娘「ミ」
私「は?これ“ミ”なん?」
娘「レ?」
私「何いってんの?これは“レ”か?」
娘「じゃ、ド」
私「じゃ、って何よ、あんたわかってないの?これは何の音?」
娘「わからない!」
私「おぼえる気がないならやめてしまいなさい!」
と、娘は泣き出すし、私はイライラするし……。
そんなことを繰り返していたのですが、ある日、その状況を見た夫に、
「娘がパニックになっている。それではいつまで経ってもおぼえることはできない」
と、言われてしまいました。
私も初めからきつく言うつもりはありませんし、娘のことを考えて「これはおぼえさせないといけない」「これはできないといけない」という思いから、単純に教えていたつもりなのです。
ですが、その考えがいつのまにか「なぜこれくらいおぼえられないのか」「なぜこれくらいできないのか」に変わり、最終的に「おぼえる気がないのだろう」「やる気がないのだろう」になり、イライラしていたのです。
娘は一生懸命おぼえようとしていたのに、おぼえられず、しかも叱られた上に答えもわからず、パニックになっていたのでしょう。
私はそれを見て勝手に「おぼえる気がない、やる気がない」と思いこみイライラしてしまっていた。
しかし、答えることができないということは「おぼえていない、わかっていない」ということなので、このような「答えを教えない」叱り方、「答えの出し方や考え方を教えない」叱り方は逆効果だったわけです。
●一番重要なのは「叱ったあと」
そのあと、娘は叱られた時は初めから何を聞いても「わからない」ということが増えました。
答えたとしても何が間違っているのか教えてもくれず、よけいに叱られるのであれば、そうなるのは当然だったと思います。
叱るということは、相手のことを考えての行動、子供の成長を考えての行動だと思います。
どうでもいい相手には叱りませんしね。
この件に関しては「子供のことを思っていながら、子供には適切ではない叱り方だった」ということ。
親にとってわかることでも子供にとってはわからないことが多いはずなので、
これは何なのか? と聞くのではなく、これが何なのかを教えることが必要だったのでしょう。
ただ、娘には姉がいるのですが、姉にはこの叱り方があっていたのか、自分で調べてどんどん伸びていきました。
だから私も、夫に言われるまでこの叱り方に何も思わなかったのだと思います。
ある意味、私も夫に叱られたのでしょう。
そこで私は気づかされ、そして反省することができました。
年齢や性別、性格によって叱り方は変えていかなければいけないでしょうから、何が正解で何が間違いかは、いまだにわかりませんが、ひとつだけいえることは「叱った相手が成長できていなければ、反省できていなければ意味がない」ということ。
叱ったあと、どのようになったのかを見ることが一番重要なことかと思います。
※筆者による寄稿記事です