●頭の中のスクリーン
── どういうことだったんですか。
礼智の言っていることが本当かわからないから詳しい先生に聞きにいこうといろんな先生にアプローチする中で、関西にある大学の先生方が会ってくださったんです。そうしたら、それは「共感覚」と映像で考える「映像思考」だと。共感覚というのは人によってかなり違い、数字に位置があったり重さがあったり、音を聞くと同時に色が見えたりする人もいるそうです。礼智にも共感覚と映像思考の両方があるとわかったんですね。わたしがものを見たら正面しか見えないんですが、彼は頭の中にもうひとつのスクリーンを持っていて、裏側も見えるし、回転もできる。切って中を見ることもできる。脳が大体形成して頭の中で映像化していた中身を見ているというんです。
── その特性ですごい立体作品ができた部分があったわけですね。
子どもにそんなことを言われたらうそだと思ってしまうようなことが本当にあるのかと。世の中、自分がこうだと思っていることが相手にも同じように見えたり感じていると決めつけたらダメなんだと痛感しました。
── その後、中学校はどう選ばれましたか。
学び方に選択肢がある私学を探しました。中には説明会にも来ないでくださいという学校もありました。テクノロジーやプログラミング教育をまい進しているような学校なんですが、「(筆記が)きれいにできない」ということを先に言うと「いらしていただいても後からつらくなると思います、うちはノートをたくさんとりますから」と。「パソコンではダメですか」と聞いても「みんな同じであるべきです」という回答でした。最終的には「どうしてもここに行きたい」という学校を見つけて、パソコンを背負って試験を受けました。(パソコンを使っての受験を)許してもらえたのは初めてのケースだったと聞いています。本当にありがたく思います。
── 教育現場への受け入れで、何がいちばん大きな壁になったと感じますか。
「障害」という単語のイメージですね。中学校にコンタクトをとったときもそうだったんですけど、「すごく配慮しなければいけないんじゃないか」と気を使わせるし、そこで話を聞いてもらえなくなる。それよりも症状を分かってもらってプロセスを伝えていったほうがいいんじゃないかと。あとはどうすればいいかわからないと。いろんな人に聞かれるんですよ、どうしたらいいか。学校との交渉の仕方も、どうコンピューターを使えばいいのかもわからないと。法律も変わったので原則的に生徒が合理的配慮としてテクノロジーを使うことを申請した場合、公立学校では門前払いはできないことになりましたけど、そもそも親が情報を知らなければどうすることもできないわけです。法律が施行されて数年経過してもまだつらい思いをしている人がたくさんいます。高校生になって初めて自分の子が読み書きに困難があると気づく親御さんもいます。「うちの子はバカだと思っていた」と泣いている親御さんに何人も会いましたよ。
── 冒頭、教育への考え方が180度変わったと話されていました。
子どもが大勢集まると難しいとは思うんですが、本来は、その子にあわせて教育があるべきだったんだなと思いました。わたしや夫はたまたま40人いても先生1人でやっていけただけであって、本当は1人ずつ全然違うんだと。耳で聞いたほうがわかる子もいるし、目で見たほうがわかる子もいるかもしれない。学校ではなく自分で勉強したほうがわかる子もいるかもしれない。従来型の学校に適応できるかどうかに優劣の差はないんだということを感じました。目標の定め方もそう。既存のレベルに合わせようとすることが子どもを引き上げる場合とつぶす場合があると思うんですね。うちでいえば文字を書くこと、絵を描くことです。最初は普通の方法で工夫してできるようにならないか、がんばったほうがいいと思うんですが、手書きなど従来のやり方で限界がきて、子どものとれる情報が少なく不利益が多くなってしまったときは、目標を変える時期なのかもしれないと。それはあきらめではなく、目標を変えることで新しい道がひらける可能性があると思うんです。何が自分の子に最適か見極めるのは大変かもしれないけど、習い事1つでもやめるならやめるでどんな様子をしていたのか、子どもをよく見て、考えていくしかないと思います。
── 子ども1人1人の違いに向きあうべきだと。
教育についてもう1つ影響を受けたのは、大阪あべのハルカスの近くにある「アトリエコーナス」という、障害をもっている方々がアートを中心とした活動をされている施設です。そこではメンバーさんと呼ばれている皆さんが活動をしていて、作品が海外でも受け入れられ、サポートを受けながら講演活動にまで行けるようになった方もいるという話を雑誌で読み、「どうやって教えているのかな」と教師根性でコンタクトをとって、代表の方にお話を伺って。驚いたのが、どうやって教えているんですかと聞いたら「教えません」というんです。「教えないからすばらしいことができるんです、教えたらアートは自由じゃなくなるじゃないですか」と。礼智は絵を描くのも苦手だったのでどうしようと思っていたんですが、「自由に表現できるように本人にまかせた方が、その人なりの世界ができる」と言われて。それでどうやってほめるんですかと聞いたら「ああ、描いてるんだね、そういうふうに描くんだね」と言うんです。「その色がいいね」とか「その形がいいね」といわれると、ほめられたことでスイッチが入って、そればかりをやることになってしまう。声をかけた側の言葉が作品に反映されてしまうとメンバーさんのアートは本当の自由な活動ではなくなってしまう。そう説明されたとき、価値観がぶっこわれました。
── 親も教師もよかれと思って子どもにできることを制限してしまっている。
わたしも立派な親とは言えないですけど、「何歳になったらこれをします」というパックにおさまらなかったとき、みんなと同じじゃなくても何かできることはないか、それを探してもいいんじゃないかと、個人的には思うようになりました。
書いた人──盛田 諒(Ryo Morita)
1983年生まれ。2歳児くんの保護者です。Facebookでおたより募集中。
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