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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第13回

文化資産は企業や団体ではなく個人が持っている

YouTubeへ違法アップロードが気持ち的にダメと言い切れない理由

2016年02月24日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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公開=犯罪/共有=違法という20世紀的なパラダイムからの脱却

 テレビにしてもラジオにしても新聞にしても雑誌にしても、メディアが発信するコンテンツは常に時代の“いま”を切り取った、“現在”に属したものだ。だから短期的な視点に立てば日々更新される新しい情報にこそ価値があり、1ヵ月前や2ヵ月前の情報というのは消費されたばかりの古い情報として次々に打ち捨てられていく。

 しかし、1年や2年といった中途半端な年月ではなく10年や20年というある程度の年月を経過すると、それらは当時の時代性や流行、社会状況を反映した歴史的資料に変貌する。雑誌なども最も価値を持つのは最新号ではなく、実はバックナンバーだったりするのである。

インプレスが1994年10月号から2006年5月号まで発行していたインターネット情報専門誌「インターネットマガジン」は、現在、同社のウェブサイトで全136冊がすべてデジタル化され無料公開されている。いまやインターネット黎明期からのネットカルチャーを知ることができる歴史的資料だ

 一般の家庭にビデオデッキの普及が進んだのは1970年代後半から1980年代初頭にかけてだが、いまではその頃に録画されたテレビ番組やそこに付随するCM、当時のニュース映像などは貴重な映像資料となっている。

 そして、こうしたコンテンツは現在投稿されている総数以上に、さらに膨大な量が各家庭にデジタル化されず眠っているはずだ。冒頭で述べたように、“本当に価値ある記録は実はオーディエンスの側に蓄積されている“のである。

 ラジオの深夜放送を録音したカセットテープ、いまでは誰も覚えていないテレビの深夜番組、あまりにもマイナーすぎてDVD化される予定のないVHSの映画、廃盤になってもはや購入することすらできないアナログレコード。こうした文化資産をデジタル化して「YouTube」などにアップロードすること……。“個人の記録”を“集団の記憶”に変換/昇華すること……。その法律的な違法性と文化的な有益性を最適なバランスで折り合わせること……。

 インターネットの世界における文化の保存/共有/継承を考えたとき、私たちは公開=犯罪/共有=違法という20世紀的なパラダイムから早急に脱却しなければならないだろう。


著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors’ Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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