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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第265回

Pentium 20年の系譜 ブランドを最後に支えて一矢報いたPentium M

2014年08月11日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/

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 Pentium20年の歴史を振り返る企画の第4回となる今回は、モバイル向けのPentium Mだ。その前にまずは、Pentium Mが生まれるきっかけとなった幻のCPUを説明しなければならないだろう。

Pentium M

日の目を見なかった幻のCPU
Timna

 前回は、P6に代わってP4がメインストリーム向けに提供されるようになった歴史を解説したが、この世代交代の影に隠れてもう1つのプロジェクトがあった。

 前々回には説明しなかったが、インテルはCeleronの製品ラインナップを強化、言い換えれば、安いコストで提供できるようにという意図で、KatmaiベースのPentium IIIのコアにIntel 752ベースのグラフィック、それとMCHまでをワンチップに統合した製品を開発した。これがTimnaである。

Pentium IIからPentium IIIまでのインテルCPUロードマップ

 ところがTimnaはメモリーにDirect RDRAMを予定しており、これがCeleron向けにはあまりに高価になりすぎて適さないという議論が起きた。そこでMTH(Memory Translator Hub)を使ってPC100 SDRAMを使えるように工夫したら、今度はMTHのトラブルでめどが立たなくなった。結局インテルはTimnaの製品ラインそのものをキャンセルした、という話は連載114回のCPU黒歴史で解説した通りだ。

インテルの黒歴史の中でも有名な「Timna」。写真はIDF Spring 2000にて、上級副社長のアルバート・ユー氏(当時)が披露したTimnaの試作品

 Timnaの設計に携わっていたのは、MMX Pentiumを開発していた、イスラエルのハイファにある設計チームである。このチームはTimnaの中止を受けて、それに代わる新しいCPUコアであるBaniasの設計に携わることになる。

P6アーキテクチャーをベースに低消費電力性能を重視して改良を加えた「Banias」こと「Pentium M」

 このハイファの設計チーム、Timnaの時はオレゴンと密に連絡を取りつつ、Katmaiを独自に0.18μm化している。Coppermineをベースにしたのではないことは明らかになっており、連載114回でも少し触れたが、独自の改良や変更を施している。ただパイプラインそのものを見直すレベルでの変更はなかったそうだ。

 この経験は、そのままBaniasに生きることになる。Pentium 4は開発中から消費電力がかなり高くなることは明らかになっていた。実際、Mobile Pentium 4-Mや、(“-M”がつかない)Mobile Pentium 4という製品も登場したものの、前者のTDPは26~35W、後者に至っては60~88WものTDPだった。

 フルサイズノートならばなんとかMobile Pentium 4-Mは搭載できたが、Mobile Pentium 4はデスクトップ、あるいはDTR(DeskTop Replacement)という、見かけはノートっぽいがサイズは普通のノートの二周りは大きい代物に採用されるに留まった。

 これもあって、デスクトップ向けがPentium 4に切り替わったあとも、長らくMobile Pentium-IIIがリリースされていた程だ。Baniasはこれを代替することを目標に設計された。

→次のページヘ続く (性能/消費電力比を非常に重視した設計のBanias

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