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あのすべり台も体験した!緊急着陸訓練をJALのCAに学ぶ!

2012年11月23日 14時00分更新

文● 藤山哲人

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インシデントにも至らない場合でも機内は騒然となる

 ここまで滅多に見られないJALの訓練センターの様子をレポートしてきたが、CAに対する考え方を改めた人も多いのではないだろうか? 筆者はこれまで航空券の安さと乗ったことのない機種、そしてCAの態度で航空会社を選んでいた。とにかくアメリカ系航空会社のCAはビジネスとしてやっている感が強く、CAが慎ましやかで価格も安く手ごろな国内系ではないアジア系の航空会社を選んでいた。

 しかし訓練センターでの様子を見て「サービスは安全という柱に支えられて初めて成立するもの」ということに気づかされた。国土交通省の指導で、平均的な安全運行は義務付けられているものの、それ以上の安全性の配慮には航空会社により温度差があるだろう。少なくとも今回見学したJALについて言えば、限りなくパーフェクトな安全性を求める姿を見させてもらった。

東日本大震災が起きた時
筆者は飛行機の中にいた

 これまた筆者の体験談で申し訳ないのだが、アクシデントでもインシデントでもない状況でも、何かあると機内は大混乱するという例を最後に紹介しておきたい。

 それは2011年3月11日、東日本大震災が起こった瞬間だ。筆者はシンガポールから成田に向かう最中で、あと1時間も飛べば成田到着という空の上だった。突然キャプテンから「成田で大規模な地震があり滑走路がクローズしました。当機は着陸予定地を福岡国際空港に変更します。着陸後再び羽田空港に着陸を申請しますので、しばらく機内でお待ちください」というアナウンスがあったのだ。もうコレだけで、機内は大混乱。成田を経由してロサンゼルス行き便だったので、感情をあらわにする外国の方が多く、CAに成田空港は壊滅したのか?(地震をあまり知らないシンガポールの人?)と詰め寄る客もいれば、成田に降りずにロスに行け!(燃料持たないよ!)などとパニック映画さながらの大騒ぎなのだ。隣に座っていたシンガポール人も「今日中に東京の蒲田に行く方法を教えて欲しい。日本には高速列車があるんだろ?」と必死に聞いてきたのをよく覚えている。

地震により成田空港が閉鎖したため欠航した旨のお知らせ。筆者はシンガポール人のお手伝いで暇つぶしができた

喧噪としたシーンはあまりにも酷かったので写真はなし。ただホテルに向かうタクシー待ちの行列はターミナルの端で折り返し中央出口まで続く。乗るまで3時間待ち……。何をするにも並ぶ乗客はイライラ

ようやくホテルに到着して酒でも飲もうかとテレビをつけると、東北を中心にえらいことになっていることを初めて知る。あわてて自宅に電話して「なんか成り行きで福岡にいます」と安否を知らせると「筆者の部屋のものが倒れてドアが開かなくなってる」と

 結局その日は東京方面に向かって飛ぶことができなくなり、航空会社持ちでホテルに1泊。ここでも部屋を我先に求める人で、喧騒となりCAと地上職員が大あらわ。なにせ定員いっぱいの500名近くの旅客が乗っていたのはボーイング747-400だったので、大きなホテルを3ヵ所ほど急遽手配しないと収容できない人数だ。

 翌日成田まで飛べるということになり、再び昼過ぎに飛行機に搭乗すると、ちょうど原発が危ないというニュースが流れ出し、いったん搭乗したものの「降りたい」と言い出す乗客(これは日本人の方)が出る始末。CAすら現地の状況が把握できないなかで、乗客一人ひとりをなだめ、落ち着かせ、説得していた凛とした姿が今も目に焼きついて離れない。今思い起こすと、あのときのCAの顔は訓練で見せていた顔そのものだったのだ。

日々の訓練があるからこそ、安全の上にサービスまで提供できるCA

今は現役を引退したが鶴丸を尾翼に付けたJAL機は誇らしげ

世界をつなぐその翼の安全は、多くの人々によって支えられるが、当然の安全を保障するのは並大抵の努力ではない

 接客の笑顔とは相反する、緊急時の真剣なまなざし。そんなCAを始めとしたスタッフで、飛行機の安全運航は支えられ、今日も世界の空を赤い鶴が舞っているのだ。

今回のフライトも何事もなく羽田空港に着陸できた

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