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【LinuxWorld Expo/Tokyo 2001レポート】(その5)「Slashdot」の裏側に迫る -Jeff

2001年06月01日 09時55分更新

文● 編集部

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5月31日の「LinuxWrld Expo/Tokyo」では、「ハイテクオタク系超人気サイト『スラッシュドット』の裏側」と題して、先日「.org Pavillion」に訪れていた、Jeff“Hemos”Bates氏(以下“Hemos”氏)とRob“CndrTaco”Malda氏(以下“CndrTaco”氏)による、「Slashdot」運営の裏話を交えての「Slashcode」解説の講演が行なわれた。

“Hemos”氏(左)と“CndrTaco”氏。

“CndrTaco”氏によると、最初の「Slashdot」は二人が学生時代に米Michigan州の「ギーグハウス1」と呼ばれる、小さな、あまりきれいではない家で、お下がりのPentium 75MHz程度のコンピュータと56kbpsのモデムを用いて始められたそうだ。最初に書かれたPerlのソースコードは「ひどいもの」だったらしく、性能の低いハードウェア上で動作させるために、とにかく高速で動作するデザインにしていたという。また、この当時はCGIも使用していたというが、そのせいで動作が遅くなることがあった。それでも最初の6カ月は0~5万ページビュー、そして1年で25万ページビューに達したという。そのきっかけとなったのは、どうやら『Netscape Navigator』のソースコード公開に由来しているらしい。「オープンソース」が注目されることで、米国内のメディアなどからのリンクが張られたらしい。

2代目のマシンはデュアルPentium133MHzで、メモリが64MB。これもすべてもらい物だったそうだ。このころにサーバを外に移し(それまでは家の中にあったそうで、しばしばLANケーブルが抜けてメールの配信が停止するといった障害もあったらしい)、管理費を払うために広告を入れるようになった。また、このころに「ギーグハウス2」という新しい家に引っ越したが、そこは階段を下りたところのドアを開けると1m下の何もない地面に落ちてしまうような、危険な家だったそうだ。コードも完全に書き換え、データベースには「MySQL」を使用、Perlも書き直し、CGIの使用をやめた。データベースを使用するようになったので、ユーザーアカウントを設定し、発言評価システムを実装した。そしてこの時期に、「Slashcode」をオープンソースとして公開した。

1年後、「Andover.net」に「Slashdot」を売却している。売却先に「Andover.net」を選んだ理由としては、運営が自由にできること、手助けをしてもらえること、そして給料がもらえるということだったという。これによって初めて給料を手にすることができるようになったし、初めてお下がりでないハードウェアを手にすることができたのだそうだ。このころにまた引っ越しを行ない、今度はきちんとした家に住むことができるようになったそうだ。

このころにはページビューも50万~100万になり、コードにも、雇用したプロフェッショナルなプログラマの手が入った。“CndrTaco”氏自身は子供の頃に独学でプログラミングを学習したそうだが、それは「日本のアニメーションで日本語を習うようなもの」であまりよい方法ではないとのこと。またこの時期には、ロードバランサーを導入し、負荷分散を行なうようになった。そしてほぼ1年前に米VA Linuxと米Andoverが合併し、両社の持つ、「Slashdot」や「NewsForge」といったウェブサイトはすべてOSDN(Open Source Development Network)に統合された。

現在は2人とも違う場所に住んでおり、「Slashdot」のページビューも1日150万ページビューを得るまでに成長した。現在の最新コードは2.0で、すでに数百のサイトで動作しているが、このコードを利用した最初のサイトが「スラッシュドット ジャパン」だそうだ。現在でも古いバージョンのコードを利用しているサイトも多いという。ソフトウェアは文化的なものであり、日本にあった「Slashcode」へのカスタマイズを期待しているとのことで、現在の「スラッシュドット ジャパン」のコードについては「見てはいないけど良さそう」とのこと。今後は「スラッシュドット ジャパン」で面白いニュースが掲載されれば、ものによっては「Slashdot」への転載もありうるとしている。

ちなみに現在の「Slashdot」は、米ArrowPointのロードバランサを使用し、6台のHTTPサーバがあり、それぞれでApacheが稼働している。ほかに1台のデータベースサーバ、1台の「ヘルパーボックス」(バックグラウンドのジョブを処理するだけらしい)を使用してサイトを運営しているそうだ。

今後の計画については、「宇宙戦艦ヤマトに乗って暮らすのだ」そうだ。「宇宙を征服したし、「ヤマト」の上に住んでいるし、バグのないPerlのコードが動いているし、何も言うことはない」というコメントを残して講演を終えた。

講演終了後には、“Hemos”氏がマイクを持って会場をまわり、質疑応答を行なった。会場からは、「スラッシュドット ジャパン」のコンテンツについてや、ロードバランサのシステムについてなどの質問が挙げられ、「スラッシュドット ジャパン」のコンテンツが単純な直訳ではなく独自のコンテンツであることや、3種類程度のロードバランサを試した上で、現在米ArrowPointのものを採用していることなどを答えていた。

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