塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第3回
塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
プラスを評価する社会
2008年06月08日 15時00分更新
プラスを送り合う さわやかな社会
私は'05年まで、東京の大学でいくつかのゼミを担当していた。そこでは、学生の評価基準を「コントリビューション」(貢献)に置いていた。ゼミという社会に対して、何でもいいから貢献する。その貢献ひとつひとつをコントリビューションとして評価するのだ。
コントリビューションは大小さまざま。面白い研究成果を披露する、資料を調べてきて提示する、ゼミの議論で発言する、他人の意見に賛同する、「えっ?」と疑問を呈する、冗談を言って場を和ませる──こういったゼミの活動に直接関係する貢献は当然プラス評価の対象。そのほか、机を整える、電気を消す、暑いときに窓を開ける、コンパを企画する、ゼミ合宿を運営するなど、ゼミというコミュニティーに何らかのプラスに作用する行為は、すべてコントリビューションになる。
このように「すべてのコントリビューションを評価の対象とする」と基準を明確にすると、学生たちの行動は明らかにポジティブになる。もちろん疑問の提起や議論の展開など、教員のアシストは必要だ。でもいったんうまく回り始めると、ゼミの活動が自律的に進んでいく。全員が少しずつプラスを出し合って、お互いのプラスを肯定し合う。「いいところ探し」が常となる。引っ込み思案な学生も徐々に積極的になる。プラスを評価されることがわかると、全体のモラールが向上するとともに、個人のポテンシャルが引き出されるのだ。
こういったプラスを評価し合う観点から、メディアに目を向けてみよう。マスメディアで報じられるニュースは、事件、事故、犯罪、汚職、不祥事、スキャンダル、ゴシップ──マイナスな事実ばかりが目立つ。もちろんそれを伝えるのは報道機関の責務だ。国民にとって必要な情報でもある。けれども、マイナスな内容の報道は、社会の活力につながるわけではない。悲しい事件の報道を目にするたびに、心が痛む。マスに語りかけるメディアこそ、できるだけポジティブな内容も盛り込んでほしいと願わずにはいられない。
(次ページに続く)
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