塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第23回
塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”
教養のチカラ
2008年10月26日 15時00分更新
自分を相手に理解してもらい、自分が相手を理解する
教養とはコミュニケーション力である。自分を他人に理解してもらうチカラと、相手を自分が理解するチカラの両輪で成り立つ。
「教養」は魅力的だ。「彼は教養のある人だ」「習い事をして教養を身につけよう」「教養教育が重要だ」──。人生の知的な豊かさを象徴するかのような魅惑によって、人は教養にあこがれ、それを獲得したいと願う。
一方、大学では「教養教育」の意義が議論されて久しい。「教養学部」や各学部の「教養課程」が、発展的に改変を受け続けているのはそのためだ。しかしそれは同時に、「教養」の意義や目的が揺れていることの証でもある。
まずは辞書を引いて語義を確認しよう。Macの「辞書」にある「大辞泉」の定義は以下のとおりだ。
1 教え育てること。「君の子として之(これ)を─して呉れ給え」<木下尚江・良人の自白>
2 (ア)学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。 (イ)社会生活を営む上で必要な文化に関する広い知識。「高い─のある人」「─が深い」「─を積む」「一般─」
非常にわかりやすい。特にここで論じる「2」は「教養」という言葉の響きが持つイメージを的確に表している。
学問を深めるのも、クラシックのコンサートに出かけるのも、美術館で絵画を鑑賞するのもすべて教養のため。読書、語学、習い事、どれも教養のため。
では人は何のために教養を身につけるのか。教養を得て何をするのか。単なるあこがれだけが理由ではなかろう。「身につける」以上の魅力があるはずだ。本当の目的は、それを身につけた先にある。
たとえば英語ができるようになると、世界が大きく開ける。英語を使う人々に、自分の考えを伝えることができるし、その相手が言いたいことを理解することもできる。英語でブログを書けば、時間や空間を超えて「英語人」に読んでもらえるし、英語で書かれた文献を読めば、異なる時空にいる人の見解を理解できる。
(次ページに続く)
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