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空挺魂を身につけろ!

これが陸自精鋭の空挺部隊式ブートキャンプだ!

2008年01月20日 08時01分更新

文● アスキー戦車部長Y

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工場見学

 最後に訪れた落下傘折りたたみ工場では、実際に落下傘を包装し収納する、そしてそれの展開実演、そして実際に落下傘を背負う体験を行うことが出来た。ここではその工場見学の様子を紹介しよう。

落下傘の収納と展張

 陸上自衛隊の場合、演習で空挺降下を行なうと、駐屯地からの迎えの車で帰隊することになる。その際、持って帰った落下傘はこの工場で整備と洗浄を行ない、必要に応じて補修などを施し、包装して次回の降下の際に使用する。なお、落下傘の耐用年数は主傘で12年、予備傘で10年とのこと。ちょっと破れたくらいならツギを当てて使用するのだそうだ。さすがに富士総合火力演習の降下ではツギの当てた落下傘は見たことは無いが、さすが自衛隊は「モッタイナイ精神」の実践者なのだな、と感心することしきり。ちなみに、保管していても異常が無いかどうかをチェックするために、3ヵ月に1回開いて包装し直すのだそうだ。今回のたたみ方と展開は、その手順の一部ということになる。

落下傘をたたむ

全長14mの落下傘を手際よくかつ丁寧にたたんでいく。この間、僅か3分ほど

落下傘をたたむ

あっという間にパッキング完了だ

落下傘の展開

今度は落下傘の展開。さっき綺麗に収納したばかりなのでなんか勿体ない

落下傘の展開

引っ張り出されたところ。引っかかることもなく、スルスルと出てくる

落下傘の展開

数10秒ほどであっという間に展開。実際は空中ではもっと早いのだろうが、残念ながら今回はそれは見られなかった

落下傘の種類

 工場内部では、空挺団創設以来使用してきた主な落下傘が展示されていた。普段は写真撮影禁止なのだが、今回は特別に許可をいただいて掲載している。

60空挺傘

「60空挺傘(ロクマルクウテイサン)主傘」(右)と「60空挺傘予備傘」(左)。1960年採用の隊員降下用落下傘だ。材質はナイロン。隊員によると、「60空挺傘」は操縦に強い握力が要求されるため、風が強いところではコントロール不能になることがあったそうだ

物料傘

「物料傘4号」(左)と「物料傘3号」(右)。「物料傘4号」は降下重量150kg、同3号は200kg。これらを使って機関銃や携行型対戦車兵器などの小火器や弾薬、そして分解した迫撃砲などを降下させるのだ

CADS

CADS(高高度空中投下システム)。空挺作戦において事前潜入部隊が自由降下で空路潜入する場合に、降下隊員と共に必要な装備を所定の地域に降着させるための装備だ。同時に降下する空挺隊員、あるいは相当な距離のある地上からも無線誘導が可能とのこと。脇のグローブがその誘導装置だ。これってもしかすると秘密兵器?

自由降下傘MC-4

「自由降下傘MC-4」(左)と救命胴衣(右)。自由降下傘は空挺部隊が隠密潜入を行う際に使用する空挺傘。一説によると高空からの降下であれば、東京から横浜くらいの距離の移動が可能だという

12空挺傘

「12空挺傘(ヒトニクウテイサン)主傘」(左)と同予備傘。隊員によると以前の主傘に比べ、格段に操縦しやすくなったという。実際、近年は降下時の事故が減っているとのことで、これらの装備の採用が貢献しているのは間違いないだろう

落下傘の装着体験

今回、ツアーの最後に落下傘の装着体験が行なわれた。参加者のほとんどが装着してみたのだが、なかなか重いものだった

記念撮影

筆者も記念写真を撮ってもらったが、どう見てもどこかの民兵かゲリラがポーズを取っているようにしか見えないのがイタイ

神兵銅像

最後に駐屯地内にある空の神兵銅像へ。参加者の方が見たいということで急遽見学することになった

神兵銅像

その由来。元々は昭和17年(1942年)に製作された「天降る像」で、それを銅像化したものとのことだ

 以上でツアーは終了。本ツアー参加者はバスで朝霞の陸上自衛隊広報センターへ帰っていった。今回は、あっというまの4時間半だった。いやぁ、空挺部隊ってじっくり見てみるとなかなか面白いもんですねぇ。

北習志野駅から見た降下塔

北習志野駅から見た降下塔(写真中央、紅白の鉄塔)。1月には降下訓練始めで空挺部隊の模擬戦闘が見られる。また、来るぞ、と思いながら筆者も1人帰宅するのでありました

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