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空挺魂を身につけろ!

これが陸自精鋭の空挺部隊式ブートキャンプだ!

2008年01月20日 08時01分更新

文● アスキー戦車部長Y

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空挺館

 建物は明治44年(1911年)に明治天皇の御馬見所として、東京・目黒の陸軍騎兵学校内に建設され、その後大正5年(1926年)に騎兵学校の移設と共にこの場所に移築されたものだ。皇族の方々が座った椅子、明治天皇が閲兵したバルコニーなど、この建物には皇族関係の展示物も多い。明治大正昭和の貴重な歴史の証人として、歴史に関心のある方は駐屯地公開の折りには、ぜひ見てもらいたい。
 なお、今回は特別に許可をもらい、空挺館内部および展示物を撮影した。通常は建物内部および展示物は撮影禁止なので、その点をご留意いただきたい。

空挺館外観

空挺館外観。明治初期の貴重な建造物だ。2階正面のバルコニーから明治天皇を初めとする皇族方が騎兵部隊を初めとする旧陸軍各部隊などの閲兵を行なった。ちなみに広角レンズを使ったので妙な感じに写っているが、実際の建物も老朽化によって若干歪んでいるらしい

玄関付近

空挺館内部、玄関付近。意外と質素なシャンデリアと階段。なおこの階段はすでに老齢の域に達していた明治天皇のために、階段の段差が少なくなるように設計されている

神兵座像

階段踊り場に設置されている神兵(しんぺい)座像。この「神兵」とは空挺部隊の兵士を指す。ちなみに空挺団広報も、この像がいついかなる理由でここに設置されたかは分からないとのことだ

バルコニーから外部を望む

バルコニーから外部を望む。目前まで民家が迫っている。かつては一望千里の習志野原が茫漠と広がっており、明治天皇の前を勇壮な騎兵部隊が駆け抜けていたという。今ではその光景は歴史の彼方へと消え去って久しい

貴賓用椅子

かつて皇族方が腰掛けた貴賓用椅子。これは習志野演習場を訪れるために利用されることが多かった国鉄津田沼駅で使用されていたものとのこと

習志野の由来

「習志野」の由来を書き記した文書と絵画。明治6年にここ大和田原と呼ばれた草原で旧日本陸軍の演習が行われた際、篠原国幹少将の見事な指揮統率ぶりに感銘を受けた明治天皇が「篠原に習え」と発言、そこから「習志野」という地名となったのだという

皇族方の写真

皇族方の写真も展示されている

「習志野原」揮毫

明治天皇御製の「習志野原」揮毫。「睦仁」とは明治天皇の諱(いみな)である

(次ページへ続く)

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