このページの本文へ

科学技術振興機構の広報誌「JSTnews」 第116回

【JSTnews8月号掲載】特集2

3つの球体で自由自在&精密に移動できる、全方向移動プラットフォームで挑む製造現場の変革

2026年08月19日 12時00分更新

文● 島田祥輔 写真● 鍋田広一

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷

 製造業はかつての大量生産から、さまざまな製品を少量ずつ作る生産方式に移行している。しかし、固定されたコンベヤーを利用する従来の生産ラインは柔軟性に欠くため、生産性を向上させるのが難しい。九州工業大学および産業技術総合研究所発のスタートアップ企業であるTriOrb(トライオーブ)は、製造の現場で資材や仕掛品、さらにはアームロボットなどの設備も移動させられる、新方式の全方向移動ロボットを独自に開発。単に物を運ぶだけでなく、生産設備も自動で切り替える「移動プラットフォーム」として、工場の生産体制そのものを変革しようとしている。

製造現場のデジタル推進対応
柔軟で拡張性高いライン実現

 かつて「ものづくり大国」と呼ばれた日本を支える製造業の現場は現在、さまざまな課題を抱えている。中でも、豊富な労働力を背景に安価な製品を製造する海外勢にいかに対抗していくかは喫緊の課題となっており、製造現場のデジタルトランスフォーメーション(DX)は待ったなしの状態だ。

 その課題に対し、移動というアプローチで製造現場の在り方を根本から変えようとしているのが、2023年に創業した九州工業大学および産業技術総合研究所(産総研)発のスタートアップ企業であるTriOrbだ。同社は、資材や製造途中の仕掛品を運搬するだけでなく、工場内の生産設備そのものを移動させて配置を変更できる、球駆動の全方向移動プラットフォーム「TriOrb BASE(トライオーブベース)」を独自に開発(図1)。柔軟で拡張性の高いフレキシブルな生産ラインを実現することで、製造業の現場で求められる変種変量生産や労働人口の減少、DX推進に対応することを目指している。

 TriOrb BASEは、3つの球体と3つのモーターというシンプルな構成で全方向に移動できる新しい仕組みの移動装置だ。凸凹や十数mmの段差の乗り越え、ミリ単位の高い精度の位置決め、耐荷重など、既存の全方向移動ロボットでは難しかった課題をクリアした。同社の石田秀一代表取締役CEOは、「重さが300kgから1tまでの物を運べ、移動の精度をミリ単位で制御できます。一般的に工場の通路幅は倉庫などと比べると狭くてロボットの走行に適さないのですが、70cm程度の幅でも動き回れます」とTriOrb BASEの性能を説明する。

 TriOrb BASEは自律走行できるだけでなく、複数台を協調させて物を運ぶこともできる(図2)。人間が2人で重い物を運ぶようなものだ。1台で500kgを運べるとしたら、2台が協調することで1tの物を運べる。クレーンやリフトといった大型設備に限られていた長尺物や重量物の搬送を自動化することで、工程間のリードタイムを短縮し、固定設備への依存を軽減することが可能となる。

 さらに、TriOrb BASEをアームロボットと組み合わせることで、従来は固定装置だったアームロボットを、工程間を柔軟に行き来する「移動するアーム」へと進化させられる(図3)。固定ロボットとコンベヤーが必要だった工程を移動式に置き換えることで、省スペース化したり、工場内を自在に移動させて生産ラインを柔軟に組み替えたりできるようになった。

図1 TriOrb BASEには複数のモデルがある。左は1t、右は300kgまで物を運べる。ほとんどの場合、ユーザーの要望に応じて性能をカスタマイズするという。

図2 2台のTriOrb BASE(資材下部の前後にある2つの黒いボックス)で1つの資材を運べる。重い資材を運ぶための専用ロボットやクレーンなどの設備を必要としない。

図3 ミリ単位の精度で位置決めができるTriOrb BASEにアームロボットを載せて移動可能にすることで、生産ラインを適時組み替えて柔軟な生産体制を実現できる。

3つの球体とモーターで構成
後退や旋回移動もシンプルに

 TriOrb BASEは、前後左右だけでなく斜めも含め、あらゆる方向に移動できる。この自由自在な移動を可能にしているのは車輪ではなく、3つの球体だ(図4)。3つの球体を、独立した3つのモーターが駆動するローターで挟み込み、ローターの回転力を球体に伝えて台座を移動させる。ローターの回転方向や回転速度を制御することで、前進だけでなく、後退、斜め前進、旋回といったさまざまな移動を実現する。

 九州工業大学の宮本弘之准教授(当時)と石田さんをはじめとする研究室のメンバーが球駆動の技術を実現する前から、全方向に移動可能な仕組みはいくつか存在していた。例えば、1973年にスウェーデンで生まれた「メカナムホイール」がある。外周にいくつものローラーを斜めに取り付けた構造の特殊な車輪で、全方向移動可能な軍用車両の開発中に発明された。これを自動車の車輪のように4つ装着し、それぞれの車輪の回転方向を変えることで、前後左右や斜めといった全方向への移動が可能になる。しかし、メカナムホイールは車輪の構造が複雑で、横移動時の段差に弱かったり、位置決めの精度を上げにくかったりするという制約があるという。

 3つの球体を使うアイデアが生まれたのは、石田さんが九州工業大学の学生だった時にさかのぼる。生物工学が専門の宮本さんから示された卒業論文テーマが3球駆動式全方向移動だった。自律型ロボットによるサッカーの競技会「ロボカップ」に参加した際に車輪による移動では性能が十分ではないと考えていた。「もっと効率的に動くロボットを作りたいと思っていて、全方向に動かしたいのなら球体が理想だという考えはずっと持っていました」と振り返る。

図4 TriOrb BASEの移動の仕組み。正三角形の各頂点に配置された球体を、モーターで駆動するローターによって回転させることで、あらゆる方向への移動を可能にしている。

実用化課題を2つの工夫で克服
創業の翌年にJSTから出資

 この技術を実際の製造現場で使えるものにするため、実用化に向けた開発が進められた。最大の課題は、球体が滑って制御できなくなる場合があることだった。球駆動式全方向移動ロボットは、ローターの回転力を球体に伝えて動くが、急な方向転換をする時にローターの回転力が球体に伝わらない現象が起きていたのだ。

 この課題を解決したのは2つのアイデアだった(図5)。1つは、2016年にJSTのマッチングプランナープログラムの成果を踏まえてローターの素材をゴムからステンレスに変えたことである。それまでのゴム製ローターは滑りにくい代わりにすぐに摩耗していた。金属製のローターは多少滑っても摩耗しないメリットが大きいという。

 もう1つは、九州工業大学の学生だった松本祥樹さん(現TriOrb)の「三角すい」のアイデアだ。それまで球体の真横からローターを押し当てていたが、図4の構成を崩さず斜め上から地面に向かって押しつけるような角度に変更できたのだ。運搬物の重量がかかることでローターが球体を下向きに押さえつける格好になり、空回りを防げるようになった。

 これらの成果が2019年のJSTの社会還元加速プログラム(SCORE)などの採択につながった。

 2020年にJSTの大学発新産業創出プログラム(START)に採択されると、産業用として生産現場で使える全方向移動ロボットの具体的な開発に着手した。

 2023年2月、石田さんは意を決して、自らが代表取締役CEOとしてTriOrbを創業した。翌24年9月には、JSTが出資型新事業創出支援プログラム(SUCCESS)で同社への出資を決定。九州工業大学を退職した宮本さんも25年に同社に参加した。宮本さんは、「大学の研究では瞬間的にでも最高性能が出れば良いという考えもありますが、STARTや企業でそれは通用しません。現場に赴いてユーザーから直接要望を聞きながら研究開発を進めています」と、新たな環境で活躍している。

図5 TriOrb BASEを裏返して手前の球体を外したところ。球体に回転力を伝えるローターがステンレス製になっている。ローターに角度を付けることで下向きに押さえつけるようにしており、斜めになっている3枚のプレートを伸ばすと三角すいになる。

製造現場のニーズを徹底調査
工場の生産ラインに的を絞る

 こうした開発に至るまでには、用途を模索する試行錯誤のプロセスがあった。石田さんは、宮本研究室が開発した球体による全方向移動機構をすぐさま起業に結び付けたわけではない。博士号を取得した後、産総研の生産計測技術研究センターに入所し、さまざまな企業の製造現場で設備の異常診断や解析手法の開発に取り組んでいた。

 石田さんに転機が訪れたのは2019年のことだった。宮本さんが、球体による全方向移動ロボットの社会実装を目指してSCOREに応募するために石田さんに声を掛けたのだ。しかし石田さん自身は当時、自身が起業することは考えておらず、誰か別の人が会社を立ち上げた際には自分はアドバイス役に回るくらいを想定していたという。

 宮本さんの開発計画がSCOREに採択された後、球体による全方向移動ロボットの市場調査や設計を実施し、おもちゃから自動車への応用まで、幅広いアイデアが生まれた。しかし、具体的な用途を絞り込んでいなかった。そのため起業支援を目的とするSCOREのアドバイザーからは「事業化という点においてコンセプトが曖昧であり、何ができるか伝わりにくい」という厳しい評価を得た。

 全方向移動ロボットを使って何のビジネスをするのか。事業開発という視点に立ち、石田さんと宮本さんはあちこちの現場に自ら足を運んだ。「病院の手術室にも行きました」と石田さんは当時を振り返る。そこで役に立ったのが、産総研で企業の製造現場に通い続けた経験だ。全国各地で製造現場の声の聞き込みを続ける中で、移動ロボットを工場の生産ラインで使うという用途に絞り込んだ。

米デトロイトにも現地法人
フィジカルAIで現場を変革

 創業から3年が経った現在、TriOrb BASEは自動車産業や鉄鋼業、半導体製造ラインなど複数の業界で導入されつつある。石田さんは、「製造業の中で、全方向移動ロボットによってものづくりの在り方が変わるという認識が広がっています」と手応えを語る。

 2025年には北米の主要展示会に連続出展し、現地の製造業関係者から大きな反響を得たことから、26年1月には製造業の集積地であるミシガン州デトロイトに現地法人を設立。その1カ月後、事業拡大に対応するため、本社のある北九州市に加えて東京・大手町にオフィスを開設した。さらに6月には、第三者割当増資と融資を合わせて28.8億円の資金調達を実施。これまで継続してきた実証実験のフェーズから、市場への本格導入および量産化フェーズへと事業を移行させた。

 今後は、ハードウエアの改良を続けつつ、工場全体を1つの人工知能(AI)と見なして、移動ロボットが自律的に移動するだけでなく判断するフィジカルAIの分野にも取り組みたいとしている。TriOrb BASEは本体の4方向に取り付けた魚眼カメラで周囲の環境を認識し、その情報を基に環境地図を作成し、自分の位置を推定しながら走行する。将来的には工場全体を動き回る中で工場の空間情報をデジタル化し、製造設備の切り替え提案やコンサルタントのような役割まで担うようにしたいと石田さんは構想している。「私たちが取り扱っているのは、ただの運搬装置ではありません。工場の生産体制全体なのです」。

 創業したばかりのスタートアップ企業というと若い社員が多いイメージがあるが、TriOrbには大手メーカーから転職した40代から60代の社員も多い。取材中には、作業机に座り、巧みに工具を使いこなす社員を見かけた。「最先端技術で勝負するスタートアップ企業が多い中で、ものづくり精神に共感して集まってくれる人がたくさんいます」と話す石田さんからは、ものづくりのまち北九州市から製造現場を変えたいという熱い情熱が伝わってきた。

宮本弘之さん(写真左) これまでを振り返ると、ただ面白そうなことに夢中で取り組んできたように思います。その中で、世の中に役立ち、誰もやっていない、シンプルなものづくりを目指してきました。多くの方々の支えと協力があってこその今なので、心から感謝しています。
石田秀一さん(写真右) 自分たちの技術が社会で使われていくのを見るのは研究者、技術者として大きな魅力ですが、技術だけでは社会実装はできません。いろいろな業種・業界の人を巻き込む必要があります。今は多くの人と仕事ができ、とても楽しんでいます。

カテゴリートップへ

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

この連載の記事
  • 角川アスキー総合研究所