「いつ金になるの?」と聞かれながらも社会課題に向き合った
企業がSDGsに取り組むのは大変だが、そのぶん成果は大きい
電通国際情報サービス(ISID)にある、先端技術の試作と実証を担う組織「オープンイノベーションラボ」、通称イノラボ。2011年4月の設立から、社会が抱える様々な課題をテクノロジーで解決を目指す研究開発を続けてきた。
イノラボの取り組みは、最近よく耳にするSDGs(持続可能な開発目標、Sustainable Development Goals)※を思い起こさせる。被災地の子どもたちの笑顔、東南アジアのゴムの木の病害、手足を失った人たちの幻肢痛、農産物のトレーサビリティなど、イノラボが取り組む社会課題はとても幅広い。
SDGsという言葉が普及していなかったころから活動を始めたイノラボは、どんな紆余曲折を経て社会課題と向き合ってきたのか。イノラボを立ち上げ、現在も所長を務める森田浩史氏に聞いた。
※SDGs(持続可能な開発目標):2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継で、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標。2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された。17のゴール・169のターゲットで構成される。
森田浩史(もりた・ひろし)氏:1995年、電通国際情報サービスに入社。エンジニアとして会計や生産管理・SCM(サプライチェーンマネジメント)などの業務システムの開発に携わる。2005年、ピッツバーグ大学経営大学院でMBA取得。2011年にオープンイノベーションラボを設立し、現在も所長を務める。
SDGs以前から社会課題に向き合ってきた
――立ち上げの経緯を教えてください。
その名の通り、もともとはオープンイノベーションをやろうということで設立したんです。
最近でこそDX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉を耳にタコができるぐらい聞きますが、振り返ってみると2000年代はテクノロジーの幻滅期でした。
2000年にITバブル崩壊、その後リーマンショック(2008年)や米国同時多発テロ(2011年)がありましたが、テクノロジーがこうした社会の問題を解決するという期待やコンセンサスはなかったかなと思います。
一方で、2007年に第1世代のiPhoneが発売、2000年代後半にはクラウドやSNSが出てきて、テクノロジーに注目が集まり始めていました。
電通国際情報サービスは企業向けのシステム開発を本業にしていますが、新しいテクノロジーでどこまで社会が変わっていくのか、明確なイメージまでは持てませんでした。ただ、大きなうねりが来ているという感覚はありました。
というのも、シリコンバレーを中心に様々なイノベーションが起きていることを把握できていたからです。どんなイノベーションが起きているかを現地で見定め、日本にどうやったら届けられるだろうか。漠然とした取り組みのイメージは持っていたので、それをみんなでやっていこうと立ち上げたのがオープンイノベーションラボです。
――最近は、多くの企業や行政機関にオープンイノベーションの取り組みが広がっています。
オープンイノベーションを全面的に打ち出したのは、日本ではおそらくぼくらが最初だと思います。
2005年にアメリカのピッツバーグ大学のビジネススクールに留学して、イノベーションを専攻しました。当時、オープンイノベーションの考え方はあまり知られていませんでしたが、おもしろいなと思って、知識だけは詰め込んで帰国しました。
オープンイノベーションを会社ですぐにやるにはちょっと早すぎるかと思って5年ほど温めていましたが、2010年頃、社長や役員に話してみたら、意外にも「まあいいんじゃない」という話になって、イノラボ設立の道が開けました。
当初は、先端技術を活用した事業開発を進める上で、CVC(コーポレート・ベンチャーキャピタル)のような、スタートアップに出資する組織の仮説を持っていました。実際に出資にもトライしたのですが、CVCはそう簡単ではないぞ、ということがすぐわかりました。出資する際にシナジーとリターンの両方を求めるのは難しいし、投資から回収まで時間がかかる。本当に信頼できるスタートアップなのか、外部から判断するのも難しいものです。
そこで、CVC的なアプローチも可能性としては残しつつ、自分たちなりに研究開発や社会実証を進めることにフォーカスしていくことにしました。単に技術を追いかけるだけでなく、社会課題に着目し、スタートアップを含め、さまざまな人たちと解決を目指す方向にしたのです。このような感じで、イノラボ設立後の1〜2年は試行錯誤の繰り返しでした。新しい組織は最初の3年間耐えられるかが大事だと言われますが、やはり最初の2〜3年は本当に苦しかったですね。
イノラボの活動には社内からも様々な意見がありましたが、幸い、社長や役員が理解を示してくれました。オープンイノベーションを進めていくことが、中期経営計画にも謳われていたこともあり、生暖かく見守ってくれていたのかなと思います。