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中の人が語るさくらインターネット 第16回

田中社長とレンサバ担当に聞いた激動の15年と次の一手

さくらのレンタルサーバが15周年 次はコンテナベースの新サービス?

2020年02月26日 09時00分更新

文● 大谷イビサ 編集●ASCII

提供: さくらインターネット

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 さくらインターネットの主力サービスである「さくらのレンタルサーバ」が開始から15年を迎えた。同社の田中邦裕社長とレンタルサーバー担当の後藤正浩氏に、激動の15年の振り返りと次世代レンタルサーバーについて聞いた。(以下、敬称略 インタビュアー アスキー編集部 大谷イビサ)

創業事業がピークアウト 専用サーバー屋になるという選択もあった

大谷:まずは、さくらのレンタルサーバの始まりについて教えてください。田中さんもいろいろなところでお話していますが、さくらインターネットの創業事業ですよね。

田中:はい。第一世代と言われているさくらのレンタルサーバは、私が高専時代に作ったもので、コーディングも私がやっていました。当時は全部手動だったので、FreeBSDのサーバーにApacheを入れて、お客様の申し込みがあったら、ユーザーを追加して、申込書や請求書を印刷し、郵送するみたいな感じでとにかくアナログだったんです。

でも、これだと全然お客様が増えません。1996年に始めて、7年目くらいにはユーザーが純減し始めたんです。

さくらインターネット 代表取締役社長 田中邦裕氏

大谷:7年目でピークアウトし始めたんですね。

田中:そうです。当時のわれわれの主力サービスはむしろレンタルサーバー事業者へのサーバーの卸し事業。今も多くの事業者に使ってもらっているのですが、2003年頃はうちのお客様だったロリポップ!さん(paperboy&co. 現GMOペパボ)が出てきて、すごい勢いでサーバーを増やし始めていたんです。サービスもすごく安くて、これはやばいぞと(笑)。

大谷:どこらへんがやばかったんですか?

田中:第一世代のレンタルサーバーは対象にしていたユーザー層で言うと完全に玄人向け。「わからん人は使うな」くらいの思想です。実際、素人お断りみたいなチェックリストありましたしね(笑)。

あと、システム面では登録作業が手動だったのに加えて、ブログ用のCMSがインストールできませんでした。

大谷:これをどう変えたのでしょうか

田中:まずはコントロールパネルを作って、初心者でも使いやすいようしようと。あとは手動だったユーザーやサーバーの登録作業を自動化しました。こうした要件で、3~4ヶ月くらいかけて開発したのが、現世代のレンタルサーバーです。

価格面も他社はとにかく安かったので、エントリ価格は他社の1/10くらい、売れ筋も月額500円くらいにしようと思いました。でも、これだと3~5倍売らないとペイしない。1万ユーザーが減っていてひーひー言っているのに、それを5万ユーザーにできるのかというジレンマがありました。

あと、当時は共用サーバーより、専用サーバーの方が売れていたんです。短期的に売り上げが立つし、機材を入れ替える必要もない。その点、レンタルサーバーは長期的にサービスを陳腐化しないようにするのが難しい。正直、専用サーバーの会社になったほうがいいのではないかという議論は社内にもありました。

大谷:にも関わらず、リニューアルに踏み切ったのはなぜでしょう?

田中:レンタルサーバーは弊社の創業事業であり、アイデンティティです。石狩データセンターがあるのでその印象も強いですが、社内ではうちはデータセンター屋ではないという話はよくします。実際、3年前からは会社紹介からもデータセンター事業の話は消えてますし。

逆にうちはプロビジョニングの基盤や自動化が得意。その意味では、ネットワーク屋であり、ソフトウェア屋。だから、レンタルサーバーはやらなければならないと思いました。

まあ、どうせ純減してるんだし、レンタルサーバーたたまなきゃあかんのだったら、ちゃんとやった方がええんとちゃうかということで、やることにしました。

時代のニーズにフィットしたさくらのレンタルサーバ

大谷:で、ふたを開けてけてみたらどうなったんでしょうか?

田中:爆発的に売れました。もともと1万しかユーザーいなかったのに、新しいレンタルサーバーは月に3000~4000件くらいユーザー増えましたからね。自分のWebサイトで独自ドメインを使いたいというニーズが増えて、個人・SOHOの方々が使ってくれるようになりました。

大谷:すごい!

田中:ちょうど時代的にもWeb 2.0化を見据えたサービスと言えるかもしれません。

大谷:2002年頃からブログブームが始まって、MovableTypeが日本語化されたのもその頃らしいです。2004年に眞鍋かをりがブログを開始し、2005年にブログが流行語大賞に選ばれたという。確かにちょうどWeb 2.0の頃ですね。

田中:SNSもその頃で、日本でもmixiやGREEが流行始めました。ちなみに、うちの売り上げって、ここから急速に伸びて、スマホアプリの普及でいったん沈み(笑)、AIやクラウドのブームでまた伸びている感じです。売り上げがインターネットのトレンドをもろに受けるという。

大谷:スマホアプリブームの時は、なぜ落ち込んだんですか?

田中:Web 2.0はサーバー側で動的にコンテンツを生成していたのですが、スマホが普及したときは逆にトラフィックが減ったんですよね。アプリ側で画面を生成すると、そもそもサーバー使わなくなります。でも、その後アプリがクラウドと通信するようになって、サーバーも、回線も売れるようになったという経緯です。

大谷:なるほど。では、第二世代のレンタルサーバーはいいタイミングで出したんですね。
田中:はい。ちょうどその頃に後藤さんが入社しています。

大谷:後藤さんはどういった経緯でさくらインターネットに入社したのですか?

後藤:もともと都内のISPでサーバー構築をしていたのですが、さくらインターネットに2006年に入って、大阪で採用されました。

さくらインターネット 技術本部 アプリケーショングループ グループマネージャー 後藤正浩氏

当時は、レンタルサーバーのアカウントが急速に増えていって、サーバーの負荷が高くなり、スパムメールが増えてきました。レアケースだったトラブルが、常態化するとか、運用上の問題が顕在化してきたので、まずはいかに安定した環境にするのが大きな課題でした。

大谷:では、安定化がメインで、矢継ぎ早に新機能追加という感じではなかったんですね。

後藤:そうですね。とはいえ、2007年にビジネスプロという高性能版を出しました。ゴールデンウィークに田中さんといっしょにコーディングした記憶があります(笑)。

田中:それがビジネスユーザーに受けて、今度は法人ユーザーが増えました。そのあとにマネージドサーバーを出して、WAFやSSLサーバー証明書のサービスが増えてますね。

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