●コンテストでようやく自信がついた
── 普通学級以外には行かなかったんでしょうか。
特別支援の枠に入れなかったですね。知能指数が高いこと、社会性があり行動問題がないことで利用の対象外と言われました。また盲学校も転学不可ということでした。
── 普通学級で「書かない」ことを認めてもらうしかない。
なので学校の先生たちの前に行って、「島と島があったら橋をかけたい、橋があれば渡りたいと思うのが人間じゃないですか。それがうちの子にはiPadなんです」と言いました。礼智もタブレットを手書きと併用して授業を受けることを希望し、こちらがあんまり粘るものだから、最終的には「担任は手伝わないけど、やりたいならやればいい、けれども関わらない」と、暗黙の了解でいいということになったんです。
── 苦労されましたね。
わたし自身はずっと他人に強く意見を言ったこともない「良い子」だったんですよ。でもここで引き下がったら、うちと同じ立場の子に行き場がなくなるじゃないかと思って。読み書きに困難のある子どもは不登校になる割合は高くなるというデータがあるんです。小学校のときは10〜30%くらい、中学校に進学すると50~60%くらいという高い率で。それを変えなかったら日本はずっと同じだろうと思って。結局(要望が)県まで通ったので3年生に上がってタブレットを学校でも使えることになったんです。あのときは人生で一番頑張りましたね。
── 本人も大変だったかと思います。
公的機関に相談に行く中で、息子は「みんなちがって、みんないい」と何度も言われたと言っていました。すぐれた才能をもっているという意味でかけやすい言葉だと思うんですが、当時の息子は「みんなちがってみんないいなら、どうして学校はみんなと同じものを求めるんだ」と言っていました。学校によってはペンの使い方、ノートの取り方、赤線も全員同じように引いている。「みんないい」の「いい」に自分が自信を持てないまま言葉だけかけられて誰が安心できるのかと。ぼくみたいな小さい子どもが気づけることをどうしてみんななぐさめの言葉で使ってしまうんだとすごく憤っていました。大人たちが考えて使わないといけない言葉なんだなと息子に教えられました。
── パソコンで作品を作れるようになったのは当時からですか。
小学3年生のころ、診断や診察などで東京に来ていたとき、これだけキーボードが打てるようになったんだから、IT企業が主催している夏のセミナーとかイベントに片っ端から行ってみようかなと行ってみまして。その中で、2日間かけて作った作品で競うというフォーラムエイトさん主催のコンテストがあって、作品を選んでいただいたんです。国際コンテストだったので表彰式では通訳もついていて。司会の阿部祐二さんが「礼智くん、また来年もきてくれますか?」と聞くと礼智が「スケジュールが空いてたら来ます」と淡々と言って、そこでみんなが笑ってくれた。それが英語に同時通訳されて、遅れて笑っている人もいた。礼智はそれを見たときに「自分も生きていける気がする」って思ったそうなんです。その表彰式が終わったあと礼智は、「みんなちがって、みんないい」と初めて思えたと言っていましたね。それまではみんなと同じじゃないから苦しかったけど、「自分はこれが好きだ」というものができたから揺れなくなったんだと。
── 自信ができて初めてそう言えるようになった。
そうして9歳になったとき、いよいよ1歳のときからCDデッキを見ていた理由がわかったんですよ。