米最先端BioTechイベントで見えた日本の課題
BIO Investor Forum 2017 SPARK Showcaseで接した米国バイオ系スタートアップの流れ
国内の”知の最前線”から、変革の先の起こり得る未来を伝えるアスキーエキスパート。京都大学の小栁智義氏によるライフサイエンスにおけるオープンイノベーション最新動向をお届けします。
CESやSXSWに対応する、バイオ業界の展示会
日本国内のバイオ関係者は毎年6月に東京ビッグサイトで開催されるBiotech、10月パシフィコ横浜で開催されるBioJapanという2つの展示会/マッチングイベントへ出展、あるいはこれに合わせて海外の担当者も含めて集まり、情報交換を行なっている。
一方グローバル市場では、米国のBiotechnology Innovation Organization(BIO)が毎年6月に開催するBIO International Conventionが世界最大の展示会/マッチングイベントであり、参加者は1万6千人以上、4万件を超えるビジネスマッチングが行なわれる。国内ではCESやSXSWほどの認知度はないかもしれないが、たとえばサンディエゴで行なわれた際のレセプションでは空母ミッドウェー博物館を借り切った上に花火まで打ち上げ、翌日もダウンタウン飲食店の集まるGaslamp Quarterを借り切るなど、相当な規模のお金のかけ方だ。
この運営母体であるBIOは米国内、あるいは世界各地でさまざまな関連イベントを開催している。筆者は京都大学の担当者として今年10月17・18日に開催されたBIO Investor Forum(BIF2017)および、そのサテライトイベントであるSPARK Showcaseに出席したので、今回はこの様子を交えつつバイオ業界のスタートアップ界隈の話題を提供する。
バイオ業界の投資家向けのハードコアなピッチ/マッチングイベント
BIOのイベントホームページによるとBIF2016の参加者は880名、55%がバイオ企業関係者で35%が投資側だった。会場の雰囲気を見てもガチンコで資金調達に来ている起業家が多く、シリーズAで数十億円規模の資金調達を目論んでいる。
この前のステージである1億円程度までのシード段階の投資ではエンジェル投資が盛んということもあるが、政府(ヘルスケアの場合は国立衛生研究所、NIH;National Institutes of Health)によるSBIR(The Small Business Innovation Research)と言われる技術スタートアップ支援の助成金もあり、シード段階では創業者や経営者の持分比率を下げることなく企業価値を上げるための資金繰りが可能だ。日本国内でも一部の政府の助成金は同様のスキームをとっているが、返還の義務が有るなど、追加投資を受ける際に結果的に複雑なスキームとなり後々課題になることが多い。
今回のBIF2017ではざっと数えただけでも169社のバイオ企業がプレゼンを行なっており、その多くがスタートアップ企業だ。投資家に話を聞くと、この場で新しい案件を見つけるというよりは、事前にコンタクトのあった企業の技術開発のUpdateを聞いたり、知り合いに紹介されたりあらかじめ目をつけていた企業の話を聞く場所として使用しているそうだ。多くのスタートアップイベントと同じく、VC同士の横のつながりでの情報共有やトレンドを捕まえる場にもなっているという。
依然として盛んな抗がん剤開発と
意外に聞くことのないiPS細胞技術
案件としては最も多かったのが抗がん剤だ。
本連載内でも何度か触れた、京都大学の本庶佑名誉教授が発見したPD-1というタンパク質の名前を少なくとも50回は聞いた。このタンパク質はがん細胞が人間の免疫機能から逃れる“免疫チェックポイント”と呼ばれる仕組みを司っているが、ベンチャーでもがん細胞の持つこの機能をより深く研究することにより、より効果の高い新薬、あるいは既存の免疫チェックポイント阻害剤が効かない癌種に対して抗がん剤を開発する話題が多かった。
国内との大きな違いはiPS細胞関係の話題があまり聞かれなかったことだ。アカデミックな学会では海外でもiPS細胞は有用なツールとして活用されており、それに関する発表を聞くことも多いが、今回のような投資に関連する場合には実はiPS細胞の話題を聞くことは少ない。
iPS細胞技術は発明者である山中教授の方針もあり、すでに広くライセンスされていることが、事業化にあたっては差別化要因とならないことも理由の1つかもしれないが、ES細胞、血球系幹細胞、間葉系幹細胞など数ある幹細胞の1つとして「当たり前のツール」として普及してしまっているとも言えよう。
ノーベル賞級の発見に関連すると、「ゲノム編集技術」が注目されていた。この技術は新しいがんの免疫療法であるCAR-T療法との相性が非常に良いことから、再生医療と遺伝子治療両方の技術を組み合わせた次世代の治療として注目を集めている。今回はそのCAR-T療法について中国での治験の数の多さが強調されており、日本がiPS細胞技術に賭けている間に世界は別の方向に走り出していることを実感させられた。
がん関連医療費を劇的に削減する可能性
血中がん細胞を解析する「Liquid Biopsy」に注目
少し変わった話題としてはLiquid Biopsyについてパネルディスカッションが行なわれた。
日本語で言うと「液体生検」ということになるが、近年がんの診断技術として血中に流れているがん細胞(Circulation Tumor Cell; CTC)やがん細胞由来のDNA(Cell Free DNA)を次世代DNAシークエンサー技術によって高い感度と精度で解析を行ない、がんの発症、進行、薬剤の選択(コンパニオン診断)、治療効果の確認などを低侵襲で実現する技術として注目を集めている。
日本国内では一部の大学病院で臨床研究としてその効果を確認している段階ではあるが、今回のBIF2017ではこの技術を持つ企業、目をつけている大手製薬企業担当者、投資ポートフォリオを組んでいるベンチャーキャピタルによるビジネスサイドでのパネルディスカッションが行なわれた。
将来的なPrecision Medicine(個々の患者に合わせた予防や治療を行なう医療)を「未来のがん治療の方向性」ととらえ、その使い方、事業として成立させるためのキャッシュフローの確保の方法などの話題が出ていた。日本でも課題になっているが、この技術は使いようによってはがんに関連する医療費を劇的に削減し、さらに治療の際の薬剤選択の方法を大きく変える可能性がある。
そのような有用性が期待されるがんゲノム診断技術であるが、日本国内ではまだ自由診療の下でしか実施されておらず、しかも1回の診断で数十万円から百万円程度の費用がかかるために普及していない。しかもこれまでの診断技術とはコンセプトが大きく異なるために臨床有用性を既存のルールのもとで示すことが難しく、米国でも結果として個人負担に頼らざるをえない状況らしい。
この技術ではゲノム情報から治療薬を処方することは今まで医師や研究者が専門能力を駆使して行なうが、昨今の情報化の流れに乗ってこれを人工知能(AI)で支援するサービスも始まっており、医療とAIの接点としても非常に大きな注目を集めている。実際、ソフトバンクが中心となって組成されたビジョンファンドの投資先の1つにGuardant Healthというサンフランシスコに拠点を持つ企業があり、この会社が得意としているのが上述のLiquid Biopsy技術だ。技術の進展による費用低減と、情報化社会に対応した医療システムの改革が待たれる。
SPARK Showcaseと大学発ベンチャー
スタートアップが求める資金の額について上述したが、米Biotechのスタートアップが集める資金と日本の「バイオベンチャー」が集める額は大きく異なっている。
事業計画とマイルストーンの置き方次第ではあるのだが、日本ではバイオベンチャーの資金調達においてシリーズAと呼ばれるVCが投資する一番最初の資金調達ステージでVC1社あたり1億円未満、合計2~3億円程度で1.5年程度先のマイルストーンを設定することが多い。
これに対してアメリカの新薬創出型のスタートアップの場合、シリーズAでも20~30億円程度を集めているところが多く、なんと600億円を超える案件もでてきている。数字として状況は理解していたつもりだったが、今回のSPARK Showcaseで米国外から発表した案件とスタンフォード大学などのシーズについて比べることで、いくつかの今後の参考になるポイントが見えてきた。
1.米国ではかなり初期の段階でスタートアップ企業を設立し、そこにエンジェルや公的資金を入れて、研究成果を企業のアセットとしてインキュベーションを行なっていることが多い。
2.新薬を開発段階で「導出」するためには「Phase IIa」と呼ばれる臨床試験の前半部分で患者への投与である程度の効果が見えていることが必須だ。米国ではそれを前提にシリーズAの段階で20~30億円以上の資金調達が当たり前になっている。一方国内では非臨床試験の終了が1つのマイルストーンとなっていることが多いので、シリーズAの調達額もそれにしたがって小さくなる。
3.大学発のアセットではスタートアップのエグジットの姿を正確に描くのは簡単ではないが、米国では初期の研究開発から仮説をベースに粗々ではあっても製品化に至るロードマップを準備しており、科学的な妥当性だけでなく、投資の資金を受けるビジネススキームについても議論が行なわれている。今回京都大学発の案件について評価は非常に高かったが、実際に「いくら、どういう条件で出してほしいのか?」という情報が求められており、米国内のプログラムと比較して「資金を出したいけれども、どうすれば良いのか?」という質問を受けた。
4.シーズの科学的な優位性やピッチ大会のプレゼンの上手さだけで議論しては駄目で、アメリカのVC業界の内側のネットワークに入り込み、彼らの本音をつかんで投資を引き出す必要がある。技術的な説明がうまくてもビジネス戦略がなければ、一方的に日本の情報を提供するだけで終わってしまう。
日本のヘルスケアスタートアップもグローバルの舞台へ!
今回のSPARK Showcaseでは、アメリカ国外からは台湾から3題、京大が4題発表した。台湾は4年前からスタンフォード大学と組んで国策の一部としてSPARKプログラムに取り組んでおり、事業計画としての完成度が高いことが評価されていた。ちなみにアメリカ国内のプログラムはすべてスタートアップのマネジメントによるプレゼンだった。
アメリカではヘルスケア分野で革新的な技術が開発された際にも、製品化が遠くても開発の初期からスタートアップが立ち上がる環境にあるが、アメリカ以外の地域では資金面と人材面の課題があり、バンバン会社を作って初期技術開発をガンガン回す、という目標設定はあまり現実的ではない。しかし日本もサイエンスのレベルは非常に高いので、米国の投資家も日本の技術に注視している。適切な枠組みを用意すれば彼らからの投資を受け入れる可能性も高く、グローバル市場を対象として事業計画を描くことにより、より大きな投資を受けることができる。その資金を活用して開発を加速すれば、日本の患者さんたちにもより早く製品を提供できるというメリットがある。これを実現するには日米どちらで起業するか、何よりCEOはどうするか? といった課題を克服する必要があるが、近い将来、バイオの領域でも太平洋をまたいだ投資も当たり前になるかもしれない。
現在日本では初期段階の創薬開発を支援するために公的資金が投入されており、製薬企業OBを中心とした支援体制で、公的なマネジメントのもとで技術開発が行われている。一方、米国では引き続き熱い起業家たちが創薬の専門家たちの指導を受けながら開発を進め、専門的な知識も豊富なVCから資金を獲得し、ガチンコのビジネスディスカッションを繰り返している。そして大手製薬メーカーに新薬を供給し続けており「エコシステム」として成立している。このマネジメントの違いはヘルスケア産業における研究開発の能力に大きく影響していると言われて久しいが、日本国内でのこのエコシステムの確立には時間がかかっている。好むと好まざるにかかわらず、日本の大学もグローバルな成長を考えるのであれば、この手のグローバル市場でのエコシステムに入り込むべく、米国での土俵に挑む時期に来ているのではないか? と感じた3日間だった。
アスキーエキスパート筆者紹介─小栁智義(こやなぎともよし)
博士(理学) 京都大学大学院医学研究科「医学領域」産学連携推進機構 特定准教授。より健康で豊かな社会の実現を目指し、大学発ベンチャーを通じたライフサイエンス分野の基礎技術の実用化、商業化に取り組んでいる。スタンフォード大学医学部での博士研究員時代にベンチャー起業を通じた研究成果の事業化に接し、バイオビジネスでのキャリアを選択。帰国後は多国籍企業での営業/マーケティング、創薬、再生医療ベンチャーでの事業開発職を歴任。現在は大学の産学連携業務に従事し、国立研究開発法人日本医療研究開発機構「創薬技術シーズの実用化に関するエコシステム構築のための調査研究事業」分担研究代表者も務める。経済産業省プログラム「始動Next Innovator」第1期生。大阪大学大学院卒。