最前線の社員が見た、戦略部門の"理想"と"現実"
"ソニーのモノづくり"という神話の裏側
2016年08月03日 11時00分更新
「ソニー復興の劇薬」発売記念企画の第3弾は、ソニーの社内ベンチャープロジェクト「Seed Acceleration Program」(=SAP)の発案者であり、取材当時、新規事業創出部・担当部長の小田島伸至氏のエピソードだ。
北欧におけるデバイス事業の最前線での"立ち上げ屋"から、戦略部門に移った小田島氏は、当時自身が感じた"大企業の内部"との温度差への戸惑いを率直に語る。SAPのアイデアを考えた当時、ソニーは"止血"のための事業見直しと、厳しいリストラを通じた組織改革を進めている真っ最中だった。そんな状況のなかで、なぜ、社内ベンチャーという仕組みを始動できたのか?
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ソニー復興の劇薬 SAPプロジェクトの苦闘 |
最前線の事業立ち上げ屋が見た、経営戦略部門の"理想"と"現実"
2012年。ソニーの戦略立案部門がある本社ビル20階は、平井一夫の社長就任を控え、変革ムードが漂っていた。
ただ、同じ20階のフロアの一室で、小田島伸至は、悶々とした日々を送っていた。
小田島は当時34歳。大学の工学部を卒業し、ソニーに入社後は、ソニーが開発した部材を内外に販売するデバイス事業の営業を担当した。彼の転機になったのは、2007年のこと。デンマークへの海外赴任を命ぜられたのだ。当時、大手携帯電話メーカーが拠点を構えていた北欧に、デバイス事業を開拓するのが目的だ。なかでも、ソニーのディスプレーデバイス事業がまったく立ち上がっていなかったところに目を付けたが、市場調査と顧客獲得、そして市場開拓をひとりでこなさねばならない。
「意気揚々と赴任したものの、売上の無い状態がこんなにも無力で苦しいとは思っていませんでした。最初は誰も会ってもくれなかったので、とにかくパーティーでもなんでも良いから接点を作り、興味を引きそうな身の周りにあるネタをかき集め、妄想の商品企画やビジョンを語るぐらいしか手が無く実務面は非常に暇でした。ところが、そういった泥臭いことを積み重ねていくうちにある瞬間、急速にビジネスが立ち上がりました。そして、ピークの時は1時間に400通のメールが行き交うような激務の世界が始まりました」(小田島)
結果、小田島はゼロから年間数百億円の市場を切り開くことに成功した。それを受けて2012年、小田島を待っていたのは、当時の戦略担当役員である斎藤端の下の部署である〝事業戦略部門〟での仕事だった。ベテラン社員の多い部門の中では最も若く、異例の抜擢であった。デバイス事業の営業最前線から、今度は、エレクトロニクスだけでなく、映画や金融まで含めた、ソニーグループ全体の戦略立案を担当する部門への転属だ。
「海外赴任中に〝デンマークで実績を出したら、本社の戦略部門に入れるがどうか〟という話はありました。そういう道があるんだ、と思ったことが、向こうで一生懸命やれた理由のひとつだったんです。現場から中央に行けば、一気に広い視点での戦略に携わることができるようになるわけですから、燃えました。自分が事業部に所属していたときは、他の事業部には関われなかった。隣の事業部と気軽に打ち合わせをするにしても、きちんとした理由を持ち、念のため上長におうかがいを立てておかないと、あとで面倒なことになることもあります。しかし戦略部門はグループ全体の仕事ですから、そういう事情をまたいで話ができる、と思ったんです」
小田島はそう〝過去形〟で語る。日本に戻り、事業戦略部門で将来の様々な戦略に関する分析をするうちに、彼の中にはある種の物足りなさ・フラストレーションが生まれていた。
「2つの壁を感じた」と小田島は言う。
まずは〝ヒエラルキーの壁〟だ。小田島は若くして、北欧市場で大きな成果を上げた。そこにあったのは有無を言わさぬ実績の世界だ。実績さえ上がれば、上司と意見が合わなくても、実績の方が優先される。お互いそれを認識したうえで働くのが基本だ。
「しかし本社のような間接部門では〝実績〟で身を立てる術がなく、言葉だけです。そうするとどうしてもヒエラルキーが出てくる。上司からの評価が唯一の生きる道になってしまう」
それは、小田島がこれまで戦ってきた世界とは大きく異なるものだった。
もうひとつは〝世代の壁〟だ。50代と30代とでは、ソニーというブランドに描いているものが大きく異なっている。50代以上にとってのソニーは、まだ新興で若い企業だ。しかし30代は、すでにウォークマンやトリニトロンで大成功し、プレイステーションを生んだ大企業、という姿しか知らない。そもそも、生活スタイルも大きく違う。
実績がすべてだったときは、世代が違っても同じ方向を向いていられた。だが、戦略部門になり、いろいろな方向を見るようになると、世代の壁によって言葉が通じないことや、認識が異なることが問題になる。
小田島は、次のようなエピソードを筆者に語った。ある戦略について検討している時、ある担当者が喩えとして〝AKB48〟を使った。ところが、同席していたエグゼクティブは、AKB48を知らなかった。当然、AKB48がなにかという説明と、なぜビジネスになっているのかという説明をすることになる。そこで、はたと気が付いた。両者で「アイドルとはどういう存在か」という前提すら異なるから、話が噛み合わない。説明でどんどん時間が経っていくが、なにより重要なのは、本質はそこにない、ということだ。AKB48が何者かを説明したいわけではなく、議論したいのは〝それを例にした戦略の話〟だ。
もちろん、戦略部門に来たことには良い面もあった。実績から離れて議論を深めることができるので、より新しく、深い視点で戦略を練ることが可能になる。
だが一方で、特定の事業部から離れ、各事業部の今後を考える部門だからこその難しさもあった。
「たとえば、まだ社内に知られてはいけない検討内容もあるわけです。でも、社内資料には都合の良いことしか書いていない場合があるし、裏をとるためリサーチをかけようにも、隠密に動かなければいけない場合もある。リサーチをかければ、彼らの事業に変更を加えさせる結果に至ることもあります。自分で直接仮説を立証したくとも事業インフラが無いので手段がない。そうすると、どうしても戦略の一部が曖昧にならざるをえない。そのような戦略は本社が旗を振っても現場で機能しない内容になってしまう。」
これらの問題は、ある意味で〝机上で行なうことの限界〟ともいえる。
中期経営計画を立てる場合、既存事業についてはすでに状況がつぶさにわかっているので、そのブラッシュアップは比較的容易だ。しかし新規事業の計画になると、とたんにその内容がふわっとしてくる。そうすると、状況を打破してくれる図抜けた存在を求めるようになるが、そんな人物がいきなり天から現われることはない。結果、検討すればするほど、会社の抱えるウィークポイントに目が行き、暗い思いに囚われるようになる。これは、いわゆる〝大企業あるある〟である。
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