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高橋幸治のデジタルカルチャー斜め読み 第17回

iPhone SEから考えるジョブズの意志と手の重要性

2016年03月25日 09時00分更新

文● 高橋幸治、編集●ASCII.jp

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人間の手と指は脳の外在化された器官である

 普段の私たちはもはや手や指の持つ絶大な能力を特に意識したりはしないけれども、ちょっと思いをめぐらせるだけでその重要性は再認識できる。たとえば手錠という器具で両手の利用を封じられることは人間にとってなす術がない完全なる屈服の状態であるし、祈りの際には宗教の別を問わず人間は両手を合わせたり、10本の指を絡めたり、両の手のひらを寄せ合わたりする。「ハンドパワー」などという超常現象的な力を手に認める場合すらあるほどだ。

 イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーは「ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ」の中で、人間が相互を認識可能な平和的/安定的なグループの構成人数は約150が上限であるとし、かつて人類の祖先のあいだではそのコミュニケーションは手と指による毛づくろいによって支えられていたと推論している。

 そして、集団の成員が多くなり毛づくろいによる関係の構築や運営がもはや不可能となったとき、言語という新しいコミュニケーションの様式が誕生したのではないかというのがダンバーの説である。

 つまり、手や指による毛づくろいは言語と同様の意味を持っており、現代の私たちが他愛ないゴシップなどで他者との交流を発生させるメカニズムとまったく同様のことなのだ。

Image from Amazon.co.jp
イギリスの人類学者ロビン・ダンバーによる「ことばの起源―猿の毛づくろい、人のゴシップ」(青土社)。著者によれば言語発生の祖型はサルの小集団内での毛づくろい(グルーミング)にあり、現代の人間の世間話=ゴシップはその名残りであるという

 現在でも聴覚に障害を持った人たちとのコミュニケーションには手話が用いられるし、視覚に障害を持った人たちとのコミュニケーションには指で読み取る点字が使われる。

 視覚情報が極度に肥大化した現代に生きる私たちはともすると忘れがちだが、脳と密接に結びついた手や指の触覚には知性と関連する情報の解読力があり、音声言語の代用にもなり得るような表現力が備わっている。手と指は脳の外在化された器官と言っても過言ではない。

 こうした脳と手との関係を考えたとき、ジョブズはペンという道具が介在しない、より直接的、より触覚的なコンピューティングを理想としたのではないか?

 だとすれば、掌中にすっぽり収まり片手で難なく操作できるためのサイズというのは非常に重要だ。筆者などもいま使っているiPhone 6を片手で操作するのはときどき危なっかしいときがある。手の小さい女性ともなればなおさらだろう。

 視覚だけに重きを置いて考えれば画面サイズは大きければ大きいほどいい。しかし、人間の知的活動と連動する身体器官はなにも目だけではない。聴覚による情報取得、触覚による情報入力……。今回のiPhone SEにおける本体サイズの縮小は、案外、コンピューティングにおける深い部分を突いているのかもしれない。

Photo by Danny Chapman



著者紹介――高橋 幸治(たかはし こうじ)

 編集者。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、1992年、電通入社。CMプランナー/コピーライターとして活動したのち、1995年、アスキー入社。2001年から2007年まで「MacPower」編集長。2008年、独立。以降、「編集=情報デザイン」をコンセプトに編集長/クリエイティブディレクター/メディアプロデューサーとして企業のメディア戦略などを数多く手がける。「エディターシップの可能性」を探求するミーティングメディア「Editors’ Lounge」主宰。本業のかたわら日本大学芸術学部文芸学科、横浜美術大学美術学部にて非常勤講師もつとめる。

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