バイラルメディアは下火になったわけではない
アスキーの読者であれば周知のことだろうが、2014年から2015年にかけて“バイラルメディア”を標榜するサイトによる記事の丸パクリ事件や、写真/動画の著作権にまつわる諸問題などが相次いで指摘され、どちらかというと、「バイラルメディア=他人の褌で相撲を取りつつあざとくPVを稼ぐ愚劣なメディア」という認識が優勢になっているように思われる。
その結果、最近ではあまりいいイメージがなくなった“バイラルメディア”というキャッチフレーズをこれ見よがしに喧伝するサイトもずいぶんと少なくなってきたようだ。ネット上では「バイラルメディアはオワコン」といった嘲笑も少なからず見受けられる。
確かにタイトル詐欺的な記事もずいぶんと見受けられたし、稚拙な原稿やずさんな編集が我がもの顔で幅を利かせていたこともある。しかしよくよく考えてみると、その記事が話題になったネタの流用/加工であれ、独自に取材したいわゆる“オリジナル”であれ、インターネット上での拡散を目論む以上、「情報をあたかもウイルスのように人から人へ感染/伝染させていく」という原理は同一なのではないのか?
「バイラル=Viral」とは「ウイルス性の」という意味である。筆者が「UPLOAD=バイラルメディア」と言われたときに感じた違和感とは、「UPLOADはバイラルメディアなんかじゃない!」ということではなく、「バイラルではないメディアなんかないんじゃないの?」というものなのだ。「バズらせる(Buzz=蜂がぶんぶん飛ぶといった意味)」などという表現は、いわゆるバズマーケティングの文脈で外資系企業の人達がかなり以前からよく使っていた。
過去にも「情報は漏洩することが運命づけられている」という主旨の記事を書いたことがある(記事はこちら。くれぐれも申し添えておくが、「漏洩してもよい」ということではない)。その際、イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」の中で述べた人の心から心へ伝達されていく文化情報の単位=「ミーム」という概念を紹介した。
極言してしまえば、アナログ/デジタルを問わずあらゆる情報メディアというのは各テレビ局、各出版社、各ウェブサイトが発信する“ミーム”の覇権争いなのである。大勢の人達に届けられることを望まない情報はないし、情報の発信者は一人でも多くの人々に感染/伝染してもらうことを望んでいる。
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1976年に刊行されたイギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスによる「利己的な遺伝子」(紀伊國屋書店)。遺伝子の謎を解く論考が中心だが、遺伝子に似た働きをする文化情報の単位「ミーム」の概念も注目を集めた |
(次ページでは、「すべてのメディアはバイラルメディアである」)
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