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1時間で1分しか遅れを取り戻せない飛行機の真実!

JALの本物すぎるフライトシミュレーターを体験したぞ!

2014年06月07日 14時00分更新

文● 藤山 哲人

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 このところ日本航空(以下、JAL)の興味深いトピックが続々と入ってくる。1月末には5年ぶりに自社養成パイロットの募集が告知され、新卒だけでなく第二新卒でも応募できると話題になった。

 そして2月には、2013年の実績で定時到着率が世界ナンバーワンのエアラインとしてJAL、そしてJALグループが2年連続で認定された(関連記事)。とりあえずJALに乗っておきゃ、9割がた遅れないのだ。さらに5月末日、JALのボーイング777第1号機が18年間の運用を終え、機体からJALの文字を消し退役が確定した。

写真でみると実機にしか見えないが、これはボーイング777の訓練用フライトシミュレーター

 そんな中、JALの現役機長に話をうかがうだけでなく、フライトシミュレーターを実際に操縦できるという、めったにないチャンス到来! Microsoft Flight Simulatorで鍛えた筆者の操縦テク(実は解説本も書いたことがある♪)が本当のシミュレーターで通用するのかを試すときがついにキタ!

JALが5年ぶりに自社養成パイロットを募集!

 男なら自分で操縦かんを握って大空を飛びたいもの。でもパイロットへの道は実に厳しく、そうそう飛行機を飛ばせるもんじゃない。しかもエアラインの大型ジェット機を飛ばすとなると、難しさもハンパない。

 さてパイロットになるには、一般の大学を卒業し新卒として航空会社に入社する方法と、一般大学の教養課程を修了するなどしたのち航空大学校に入学しライセンスを取得してからエアラインに就職する王道の2パターンがある。

 前者は入社して給料をもらいながらパイロットの自社養成プログラムを受けてライセンスを取得するが、パイロットを自社養成しているエアラインは少ない。

 航空大学校は、それなりの学費(入学金と授業料でおよそ初年度150万円、その他寄宿舎費、制服や教材費など)が必要だ。最近はパイロット養成コースのある大学(国内で4校ほど)もあるが、国が運営する航空大学校と比べると学費がえらく高くつく。いずれにしても、大学経由は若さと時間が必要になるので、一度就職してしまうと大学経由の道は閉ざされると言っていいだろう。

お話をうかがった日本航空株式会社 運行業務部 ボーイング777機長の近藤 卓氏

 海外には、いったん空軍に入隊してから民間航空会社に入る、いわゆる「空軍上がりのパイロット」が大勢いるが、なぜか日本にはこの道がない。「なぜ」については、いろいろあって、政府の方針も絡んでいたりするので割愛する。

 さらに自費でライセンスを取得する方法もある。海外に何ヵ月も留学することが多いので、学費も高くつくほか、その間の休暇や生活費をどうするのか? という問題が付きまとい、よほど時間とお金に余裕がなければ、ジョブチェンジするのは難しい。

 そこに飛び込んできたのが、JALが5年ぶりに自社養成パイロットを募集するという告知。2014年1月のことだ。応募資格は「4年制の大学または大学院の修士課程を卒業・修了すること」だけ。性別や学部、規則で就職経験ありでもOKというのだ。

 昔は身長制限(手足が操縦機器に届くための最低身長)があったり、裸眼視力が求められたり(現在は原則、矯正視力で1.0でOK)したが、現在敷居は低くなっている。また体力測定や怪我・病気歴があっても、医師が乗務に差し支えないと判断すればパイロットになれるのだ。

 ところが、晴れてJALに入社できても、パイロットになれるわけじゃない! ここまでは自腹を切るか、会社の経費の違いが決まっただけ。この先の分岐は、美少女ゲームよりも厳しく辛い道のりになる。

自社養成パイロットプログラムを受けていた時代の写真を見ながら、ライセンス取得の難しさを教えてもらった

 その辺を全部書いちゃうと「今の仕事でいいわ俺」って人が大半になっちゃうので、明るい未来の希望をざっくり紹介しよう。まず自社養成プログラムは、お客様視点を身に着けるところから始まるので、入社1~2年は地上勤務となる。その後国内で3ヵ月の座学(航空法、気象、航空交通管制など)を行なったあと、渡米して1年半は各種ライセンスを取得する。

 国内に戻って定期運行便に同乗し、JALの副操縦士としてスキルを4~5ヵ月間OJT(企業内教育訓練)で学ぶ。入社してから操縦かんを握れるまでの期間は、地上勤務含めて、まるまる3年以上かかるというわけだ。

 しかも3年間耐えるとパイロットになれるわけじゃなく、その間のさまざまな試験にパスしないとならない。とくに渡米してのライセンス取得は大変だったという。

 話をうががった近藤機長は、事業用操縦士の一次審査で不合格になったという。景色を見ながら目的地まで飛ぶという試験だったが、横風に流されてしまい目的地を見失ってしまったためだ。その試験は、2度不合格になるとライセンスが取れないため再試験のプレッシャーはなみなみならぬものだったという。

 近藤機長の場合は、1989年入社で副操縦士になったのは4年後の1993年。その後、副操縦士としてのスキルを積みつつ、機長としての勉強や試験を重ね、さらに10年後の2003年に747-400の機長に昇格したという。パイロットへの道は広く開かれたが、長く険しい道のりが続くのには変わりないようだ。

(→次ページヘ続く 「利便性を考えて、前を飛んでいる飛行機を追い抜く?」)

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